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2025年1月12日日曜日

2025年1月12日 今後の抱負

1年間があっという間に過ぎていくし、誕生日が1月なせいもあって新年の抱負と○歳の抱負がダブってしまうので、まとめてかつ長期的な抱負を表明したい。

1 ベトナム語

昨月(2024年12月)にベトナムをホーチミンからハノイまで縦断旅行したところ、思ったよりベトナム語で会話ができて非常に楽しい旅となった。中国を初めて一人旅したときはもっと伝わらなかった感じがあり、また中国語の聞き返し"啊?"が日本語話者にはかなりきつく感じられたので、会話するのに難儀した記憶があるのだが、今回のベトナム旅行ではあまりそういうやり取りが発生しなかった。中国では中国人に見られたので、ただ「ちゃんと喋れてないやつ」として看做されたのかもしれない。ベトナムでは、やはり中国人とみられたので(時々ニーハオと声かけられた)、外国人がわざわざベトナム語をしゃべっている!と好意を持って接してくれたように感じる。欧米人観光客は言わずもがな、外国人観光客がベトナム語で話している光景は珍しかった。中国ではもう少し中国語を話す外国人が多かった(し、中国人も中国語を話して当たり前くらいに思っている)。ベトナム語は勉強をし始めて5年くらいになるので、今年2月とその次のiVPT(国際ベトナム語能力試験)と、今年6月のVILT(実用ベトナム語技能検定試験)ではB2レベルを目指して頑張りたい。

2015年6月20日土曜日

2015年6月20日 日本最長路線高速バスにまた乗った&日本最短鉄道路線にも乗った

 ご無沙汰しております。先月所用で東京へ向かったのですが、その際運行休止直前のライオンズエクスプレスに始発から終点まで乗りました。帰りのルートは成田から飛行機で帰ることにしたので、京成本線とそこから伸びる2私鉄に乗車しました。

 まず、Lions Expressから。このLions Expressについては 斧澤英城の北部九州で一番広西チワン族自治区百色市に詳しいブログ: 2013年5月26日 日本語:日本最長路線バスに乗ってみた! にも詳しく書いてあります。ただこのときは博多バスターミナルから池袋駅東口までだったので正確に言えば一部区間を乗車しただけでした。

Lions Expressはどこ…西鉄天神バスセンターにて。
今回は、運行休止予定が事前に分かっており、時間の余裕もあったので、せっかくと思い始発停留所である西鉄天神バスセンターから終点の西武バス大宮営業所まで、いわゆる「完乗」をしてみました。西鉄バスセンターは最近、窓口が新しくなり、売店がローソンになり、またスターバックスができるなど大幅に改修されました。バスセンター内の壁には写真が展示されており、過去の天神バスセンターの写真や「歴代の高速バス車両」としていくつかのバス車両の写真がありましたが、「はかた号」はあるのに何故かLions Expressの写真はありませんでした。西鉄的に黒歴史なんでしょうか…?

2012年4月24日火曜日

2012年4月24日 日本語:中国語で書かれている日本のガイドブックが何かおかしい件



今年1月から4月までにとった写真をハイライトのような形で記事にしようと思ってあきらめています。最近昆明の生活リズムに慣れ過ぎてただでさえものぐさな性格が悪化しています。

さて、観光ビザ緩和や富裕層の増加で中国からの旅行客が増えているというのは最近しばしば耳にするニュースです。東京の電気店だけでなく、弘前の雪の中の土産屋や長崎の商店街でも中国のデビットカードである銀聯カードのマークを見掛けるようになりました。

中国の書店に行くと、中国国内のガイドブックと同じシリーズで日本のガイドブックも売られています。今回、と言っても昨年年末ごろですが、その中の一冊である《日本玩全攻略》(日本玩全攻略、「遊ぶ」と「完全」を掛けている)と言う本を購入しました。

まず、表紙。富士山や両津勘吉、ハローキティの頭の人間の写真に、「668個のホットなスポットを網羅!日本を遊びつくすための必携ガイド!」などと宣伝文句が書かれています。ハローキティの頭の人間はよく見ると後ろを向いています。

中身はパート1からパート10まで地域及び目的ごとに分かれています。以下の通り:
パート1 東京を遊ぶ
パート2 東京で買いもの
パート3 東京で食べる
パート4 東京周辺
パート5 京都を遊ぶ
パート6 大阪・神戸を遊ぶ
パート7 大阪・神戸で買いもの
パート8 北海道を遊ぶ
パート9 九州を遊ぶ
パート10 日本のその他のホットな場所
なんか非常にバランスが悪いような気はするのですが、外国からするとこんなものなのかな、と。

目次の次には「打开日本(日本を開く)」として簡単な日本の紹介がなされています。そのほか、新幹線、日本の6大「都市シンボル」、入国ガイド、日本で注意すべきこと、日本6泊7日ツアープランなどが掲載されています。日本の6大「都市シンボル」では桜、東京、京都、茶道、神社、温泉という何基準で選んだのかさっぱりな6つについて紹介していますが、神社の項目で、「…19世紀末期に廃仏毀釈運動の興りによって神道は外来の仏教を負かせて正式に日本の国教となった。総人口のおよそ85%を擁する…」って、書き方が今でも日本の国教になっているみたいに読めるし、そもそも日本の85%が氏子というのはあくまで神社の自己申告だし、神社しか行かない人なんてだいぶ低いからこれを以て「国教」とか言われても…
日本6泊7日ツアープランもなかなかの強硬具合です。(初日)長崎-ハウステンボス(2日目)大阪(3日目)神戸(4日目)京都(5日目)東京(6日目)富士山-箱根-横浜(7日目)北海道…これ絶対どこかで交通事情とかでプラン全体的に壊れそうな気がするのは気のせいでしょうか。

東京の紹介では明治神宮や浅草寺と並んでソフマップやら乙女ロード何かが紹介されています。乙女ロードは《少女之路》と紹介されていたので一体何なのかと思ってしまいました…集英社や小学館も紹介されていて「漫画ファンの聖地」とか書かれているんですが、出版社って何か展示しているんでしょうか…注目すべきは「日テレタワー」と紹介されているところ。写真がどこからどう見ても東京タワーなのですが、東京には似たようなタワーが2つもあるのでしょうか…
 パート9の九州では45個の観光地が紹介されているのですが、そのうち34個が長崎。長崎を紹介してもらえるのは長崎人として嬉しいのですが、あまりにもバランスを欠いているのではないかと。沖縄は県全体で1個の観光地扱い…長崎の項目で気になるのは、まず《送灵节》として紹介されている精霊流し。「長崎駅から徒歩10分」は多分県庁坂に歩かせようとしているのでしょうが、これでたどり着くのでしょうか…?そしてここに記されている電話番号は一体…次に《和平公园》と書いてある平和公園。平和公園全体に入場料がかかるみたい読めてしまう。《伊王岛》入場料650円…ってそれは船賃ではないでしょうか…しかも片道分。


 パート10のその他に入れられてしまったところにも気になるものが…《青森睡魔祭》ってねぶたの事か…調べたら語源とされるものの一つとして「眠たし」があるのであながち間違いではないのでしょうが…本当にこれでいいのか…?

  そもそも僕のブログの記事ってこんなんでいいのか…







 

2011年11月7日月曜日

2011年11月7日 日本語:Nanzningz(南寧)とBwzswz(百色)に行ってみた 後編


2日目の午前中はホステルの中でぐだぐだしていました。というのも、思ったよりも南寧が見るところが少なく、多くの観光地がある程度時間をかけていくような場所にあるので、他の場所に移動しようと思ったからです。
 
老友粉と豆乳
 12時頃になり、ホテルをチェックアウトしました。そのまま南寧駅へ向かい、切符売り場で当日の南寧-百色の硬座と翌日の百色-昆明の硬卧の切符を購入しました。そして駅前の店で老友粉を食べ、駅前地下商店街のようなところを見て回ったりしました。南寧らしく、民族文芸品や民族衣装なども多く陳列されていました。

2011年11月6日日曜日

2011年11月6日 日本語:Nanzningz(南寧)とBwzswz(百色)に行ってみた 前編

11月2日から6日にかけて、また旅行に行ってきました。前回(大理)に同じく、2日の晩の列車と5日の晩の列車なので実質旅行先にいた時間は3日間というわけで2泊5日です。「題名は何と読むの?」と思われた方も多いかと思います。各地名のチワン語読みなのですが、僕も読み方が良くわかっていません。とりあえずzが声調を表すので、nanning、bwsw(wは日本語の「う」の音)に声調をつけて読めばいいんですが…


雲南大学から昆明駅へはいつも通り(というほどは乗ってないけど)バスで。前回よりも出発時間が早いので、駅もまだ賑やかでした。ここから今回の目的地、南寧までは13時間の旅です。11時間で着くもの(Kから始まる快速)もありますが、今回はそれではなく無印のもの(慢車)に乗りました。終点じゃないと乗り過ごしそうな気がしたので。


3日の朝9時半過ぎには南寧に到着しました。南寧市は広西チワン族自治区の首府です。しかしながら、地球の歩き方「中国」には載っていなかったりする、「人の興味を引かない」大都市です。実際中国人でも南寧を目的地として旅行することは少ないようです。

2011年10月28日金曜日

2011年10月28日 日本語:大理国の首都だったところに行ってきた。後編


大理古城
 大理2日目以降はほとんど街歩きでした。2日目は、午前中はぐだぐだして、昼に白族のレストランでご飯を食べました。こちらのレストランは、店頭に食材が並んでいて、その食材を選んで、調理法を指定して調理してもらうという方法で、大概にしてメニューがないので少し面倒です。値段もわかりにくいですし…値段がわからないのでぼったくられてるのかどうかすら良くわからないという…観光地価格のような気もするんですけどね。

 その後大理古城内にある大理博物館に入りました。大理博物館は建物は平屋で何軒かあり、中国でよくある碑文が外に展示してあったり、古城の通りに比べると人もほとんどおらず、ゆったりした空気が流れていました。屋内の展示は大理が仏教国であったことに関連する仏像や、いかにも中国らしい愛国烈士の展示などがありました。無料でした。

2011年10月22日土曜日

2011年10月22日 日本語:大理国の首都だったところに行ってきた。前編

    旅行の話は時系列順にしようと思っていたのですが、更新頻度が低いので直近のを先に書くことにしました。悪しからず。

   10月12日夜より16日早朝まで、大理旅行に行っていました。といっても、車中泊-ホテル-ホテル-車中泊だったので大理にいたのは13日朝から15日夜までです。

ここ昆明からは鉄道で7時間半、バスでは5時間ほどで大理につきます。車のほうが列車より早い(火车没有汽车快)は雲南十八怪の一つです。雲南十八怪とは雲南の18の不思議という意味で、18はあくまで数が多いことを示すもので、100個以上あるようです。日本語でいえば雲南七不思議という感じでしょうか。夜行列車で出発すれば寝ている間につくのでちょうどいい長さです。硬卧(二等寝室)の3段ベッドの一番上で83元(約1000円)です。

日本語話者であれば、

2011年9月28日水曜日

2011年9月28日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(六)

 ※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三)、 2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四) 、 2011年9月19日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(五) の続きです。


 完結編です。お待たせしました。


 模範街を出て、途中でセブンイレブンによりつつ、莒光楼につきました。建物の外には金門島デザインの電話ボックスが。楼の中はいろいろなものが展示されていて、金門包丁や、風獅爺(沖縄のしーさーのようなもの。おそらく同じ系統)、無形文化を映したパネルなどがありました。楼の最上階からの眺めもなかなかのものでした。また車に乗り込んで次の目的地を目指していると、法輪功の宣伝の垂れ幕が。金門島にいるとこういう小さなところでも、中台の境目にいるのが良くわかります。


 次の目的地はまた軍事施設。外には高射砲とかが展示してあります。で、中はというと、トンネルになっています。地下坑道です。危険が伴うのでヘルメット着用。トンネルを抜けると水路に出ます。今は出口が閉ざされていますが、昔は海から船を引っ張ってこのなかに格納できる仕組みになっていたとのこと。なんか変なライトアップがしてあるので異様な色で水面が光ってます。その後古崗楼の横を通り、金水国民小学跡へ。中は金門の歴史資料館のようになっています。特に華僑の歴史について詳しかった記憶(というかその写真しかとっていない、おそらく電池切れの為)。
 
 金頭フェリーターミナルに戻り、運転手と別れた後、切符売り場に向かいました。そこでアメリカ人の旅行客と出会い、英語より先に中国語が出てくる頭でなんとか英語で会話しました。同じ船に乗ったので、アモイ到着後に彼と食事をして、彼をアモイ駅まで送ってから別れました。そして僕は空港へ向かい、無事上海虹橋に到着しました。虹橋からは静安寺までバスが出ているので、それに乗ってから帰宅するとタクシー代がかなり安く済みます。











2011年9月19日月曜日

2011年9月19日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(五)

  ※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三) 2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四) の続きです。


 更新が遅れすぎてもうなにがなにやら…写真見返しながら出ないと自分でもどんなことしたか忘れかけている…


 明魯王墓を後にして、次の目的地へ。運転手のおばさんがお勧めのところがあると言うので、そこで降りると「喫茶店の博物館」らしい。「特約茶室」…と書いてあるけれども意味がわからない…なぜか女性のシルエットが書かれているし…と思いつつ中に書いてあるのを読んでいくと、どうやら軍人向けの喫茶店だったのか、というのがわかった。もっと読んでいくと、要するに国民党軍が設立・運営する「茶室」という名の慰安施設だったらしい。軍人は安く利用でき、公務員にも割引価格があり、一般もお金を払えば利用できた、とのこと。僕はそういうのは負の歴史として残すだろうと思うんだが、この記念館の雰囲気はどうもそういう感じでもなく、あくまで歴史の1ページに存在していたということを書き残しているだけという風に感じた。記念館には喫茶店(普通の。)が併設されていて、そこで少し休憩。チーズケーキはおいしかった。おすすめ。運転手のおばさんの弟さんが経営されているとのことで、ああ、そういう理由で連れてきたのか、と少し納得。

把意思變爲力量


 またタクシーに乗る。道の途中のロータリーの真ん中には“把意思變爲力量(意思を力に)”と書いてある兵士の像があったり、国共対立の境目にいることを実感させられます。


金門鎮總兵署
 次の地点は金門鎮総兵署。簡単に言うと、昔の役所址に行きました。この総兵署は清の時代につくられたようで、上には会議をしている様子の蝋人形とか昔の武器、金門の歴史についての説明が、地下牢には罪人の蝋人形とか刑罰の道具とかが展示してありました。金門島の歴史には華僑の存在が不可欠なようです。総兵署の門前は店が並んでいました。有名なお粥の店もこの通りにあるようです。大きな門もあり、近くには模範街と呼ばれる、90年ほど前に当時の商工会が計画してつくったレンガ造りの通りも有ります。模範街ではいろいろなものが売られていました。
模範街


もう少し続きます。多分次回で最後になるかと。

2011年8月16日火曜日

2011年8月16日 日本語:事故と関係ない、高速鉄道の話

-改札-

高速鉄道の改札で改札機が故障した。

韓国では思案の末、「信用乗車方式」を採用し、改札機をなくして乗車する人の良心に任せることにした。乗車後に車掌が不正乗車がないか確認する。

一方中国では職員が鋏を入れた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 有名なボールペンジョーク(リンク先はアンサイクロペディア)を改変した感じで作ってみました。

 韓国のKTXは実際この信用乗車方式を使用していて、駅に改札がないので初めて乗った時には非常に戸惑いました。駅の入場料も多分かからないんでしょうね。KTXの座席は結構狭いです。特室(日本で言うグリーン席)なら非常に快適です。

 中国の高速鉄道は世界最高の技術を使ったとか何とか言ってる割に改札機がしょっちゅう壊れてるし、駅のホームじゃなくて構内に入るだけでも身分証確認して手荷物検査して…と面倒だし。そういえば今回の高速鉄道の事故で、中国人ネットユーザーが「中国の鉄道は世界最速の棺桶だ」とか言ってたっけ。

 この前上海-北京間で高鉄に乗りましたが、まぁ結構快適でした。僕が日本人とわかると静かな車内で隣の人が結構大声で話してきたことと、隣の人が置いたコーヒーが途中で乗ってきた人のバックで倒れてかかったのにその人はどっか行っちゃって面倒になったのと、作業服の人が2人ずっと乗車していて「この車両もしかして故障の恐れがあるんだろうか…」と思わせられたことを除けば。

2011年7月31日日曜日

2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三) の続きです。


更新長らくお待たせしました。


  金門民俗文化村を出て、チャーターしたタクシーで次の目的地へと向かいました。と言っても前の記事で言った通り運転手のおばさんと相談というかおばさんがほとんど決めてしまってるような状態でしたが。次は太湖といういかにも中国によくありそうな湖の名前のところへ。聞くところによると太湖は人工湖らしく、金門島自体もそれほど大きくないのでそれなりの大きさの湖です。目的地は太湖ですが、この湖を見に来たわけではなく、そこに隣接する記念館を見るためです。


中華民国側のプロパガンダビラ
  名前は「八二三戦史館」。前の記事でも出た、1958年に金門島が砲撃された際の最初の砲撃があった日が8月23日で、中華民国側ではそれを取って「八二三砲戦」と呼んでいるようです(中華人民共和国側での呼称は「金門砲戦」)。記念館の周辺には戦車やら飛行機やらが置いてあります。そういえば靖国神社のところもこんな感じでした。戦史館は入場無料で(後述する予定ですが、金門島の記念館は全て入場無料でした)、それほど大きくはないですが展示品は適度にまとまっていて見やすかったです。時代背景の説明から入り、実際に戦場となった金門の変化、砲弾や双方のプロパガンダの展示等がありました。プロパガンダの展示なんかは個人的には面白かったです。どちらも自分の国の生活が素晴らしいことを実際にどうかは別として見せつけるわけで、それはつまり、相手の側が見ている「素晴らしい生活」が何かを探りながらそれを表わしているということは非常に興味深いなと思いました。対面には兪大維先生紀念館という軍人の記念館があり、そのひとの受章歴やなんやかんやいろいろ展示してありました。


明魯王墓
 その後、車に乗りこみ、魯王の墓というところで降ろされました。明朝の時代の魯王ということらしいですが、自分が知識ない上に、特に説明もないので実際どういうことをした人なのかもよくわかりませんでしたが、お墓の形がドーム型になっていて、亀甲墓とはまた少し違うものの、文化の流れとしては近いものがあるのかな、と感じました。



まだ続きます。

2011年6月28日火曜日

2011年6月28日 Esperanto: La vojagxolibro de "Dua" Fujian. Amoj kaj Kinmen. Volumo 2

 Cxi tio artikulo estas esperantigo de 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二)  en la japana. Kaj Cxi artikulo havas antauxan artikulon: 2011年6月11日 Esperanto: La vojagxolibro de "Dua" Fujian. Amoj kaj Kinmen. Volumo 1 .


Longtou-lu
   En mateno la 6-a de la dua tago mi vekigxis. Onidire la shipo el Kinmen insulo ekos frue de la 8-a, do mi intencas ensxipi tion. Sed gustejisto ne jam vekigxs, do mi atendis gxis la 7-a.


   Lastanokte en Longtou-lu, la Centro de Koronsu insulo havis multaj homoj sed matene havas malmulte. Mezolernejaj lernantoj iris havinte ombrelon helan. Enshipeje mi pagis 8 yuan kaj ensxipi. Estas frue matene sed multaj homoj atendis shipon.

  Reveninte al Amoy, mi sercxis Internacian Havenon. Amoy havas multajn havenojn, do mi errare iris al diferencan havenon. Tie havene estas la haveno por sxipo de cxirkaux kinmen. Mia intenco ne estas vidado kinmen, sed alterigxado. Mi demandis al kioskisto kaj iros al intercia haveno.


La Sxipo al Kinmen
 Internacia haveno estas pli granda ol kiel mi pensis. Mi acxetis bileton da 160 yuan. Multo de ensxipanto estas Taiwanujo, mi pensas. Sxipo estas granda, sed malgranda kiel la sxipo de ligado Taiwan kaj Cxinujo.



  (Artikulo daura estas.)

2011年6月25日土曜日

2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) の続きです。

  外は雨が降っていたものの、余り揺れはなく無事に金門島に到着しました。中華人民共和国と中華民国をまたぐので当然ながらアモイで出国手続き、金門に到着後は入国手続きが有ります。金門島側の水頭フェリーターミナルはあまり大きくなく、長崎港のフェリーターミナルと比べても小さいほうです。ここからはアモイの2つの港と、泉州に行く船が出ているようです。フェリーターミナルの出口では「大陸-台湾間の貿易手続きを代行します」みたいなことが書かれてある名刺を配っている人がいました。小三通から(大)三通に変わった今でも、ここは大陸-台湾間貿易の重要な場所なのかもしれません。どうやら金門島は島民向けに無線LANを開放しているようです。住民の登録コードが必要なようで、他の人は使用できないようでした。その代わりにフェリーターミナルでは別のWi-Fiが飛んでいました。

  いつまでもフェリーターミナルにいるわけにもいかないので外に出てタクシーをチャーターしました。聴くところによるとバスは本数が少なく非常に利用しにくいとのことで、その上流しのタクシーもあまりないようだったのでこの方法が一番便利かもしれません。運転手に訊くところによると、チャーター1時間いくらと相場が有るとのこと。最終的には負けてもらいましたが。また、あのフェリーターミナルからは大体の客が空港へ行くのでそれにも相場が決まっているようです。

  今回金門島を旅行して得た金門島のイメージは軍事基地・華僑・農村、こんな感じです。金門島は一応少しは下調べしていましたが、優柔不断なのでコースを運転手と相談しながら行くことにしました。
馬山「還我河山」

  まずは馬山。金門島の北西端にある非常に小さな岬のようなところなのですが、ここに基地が有り、1958年に金門島が砲撃された際に要となった場所とのことで、ここのトーチカからは大陸が見えます。また、緊張が緩和する以前はここにあるラジオステーションから大陸へ向けてプロパガンダ放送がなされていたそうです。「還我河山(我々に河山[=大陸]を返せ!)」という字が迷彩色の壁の中で目立っています。馬山は入口で道が二つに分かれており、右に曲がると見学用のトーチカなのですが、左に曲がってしまうと銃を持った軍人が見張りに立っている本当の基地につながるようなので注意が必要です。逆にいえば見張りがいるので間違って侵入することはないです。

金門民俗文化村
  次は金門民俗文化村へ。ここは山后民俗文化村とも呼ばれるようで、金門島の歴史的な集落を改修して展示してあります。実際に人が住んでいて、それでいて観光地によくある「この時代の生活をやらせてますよ」感はなく、のんびりした生活感を味わうことが出来ました。この村出身の華僑は神戸にも行ったらしく、神戸での事業の史料等が展示されていました。少しおなかがすいたので海蚵煎(おあつぇん、牡蠣入りオムレツ)を食べました。ここには民宿もあるようです。

続きます。

2011年6月15日水曜日

2011年6月15日 Bahasa Indonesia: Museum Kultur di Universitas Fudan

Museum kultir di Universitas Fudan

Pisau
 Lima hari yang lalu, hari Jumat, saya ke Museum kultur di Universitas Fudan. Museum sedikit ada di Universitas Fudan.

 Saya melihat Pedang dan Bansa yang Taiwan. Museum ini memanggil Taiwan "The Republic of China (Republik Cina)". Musium ini gratis merihat tetapi tidak besar.

2011年6月11日土曜日

2011年6月11日 Esperanto: La vojagxolibro de "Dua" Fujian. Amoj kaj Kinmen. Volumo 1

  Cxi tio artikulo estas esperantigo de 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) en la japana.

  Mi vojagxis en Amoj kaj Kinmen de majo 31-a vespero gxis juno 1-a nokte. Cxi vojagxo okazis en ordinala tago kial mi ne havas klason en merkredo kaj acxetis biletojn aeroplanajn malmultakoste. Mi acxetis biletojn, Pudong-Amoj kaj Amoj-Hongqiao. Mi antauxe acxetis bileton de Chunqiu aeroplano sed ili cxesis la flugxadon. Cxi tiam mi revenis al Sxanhajo senprobleme.

Amoj (Xiamen)
  Mi mangxis rizovermicxelon en mangxejo de Pudong flughaveno antaux mi enplanigxis. En flughavena mangxejo mangxas multekoste... Multaj pasagxeroj estas en la aeroplano. Mi auxdis La Cxinan, La sxanhajan kaj alian lingvon. Mi pensas, ke tio estas La Minnan-a. Mi endormis malmulte.

  Venis mi al Amoj flughaveno. Pudong flughaveno, kion mi vidas ordinare, estas tre granda, do mi pensas Amoj flughaveno estas negranda. Mi enauxtobusigxis al ponto de cxi tie. La ponto estas malgranda. Gxi estas nur por Kolongsu. Kiam oni enshipigxas al Kolongsu, oni ne devas acxeti bileton. Reveno de Kolongsu oni devas acxeti irorevenan bileton. Se vi enshipigxi en superetagxo, vi devas pagi 1 yuan. Shipo estas malgranda sed havas belan noktopejzagxon.

Kolongsu
  Kolongsu, malgranda insulo, estas movoplena. Kolongsu havas histriajn konstruajojn. Mi iras al junulargestejo sentelefone, la gestejo ne havas liton neokupitan. Gestejisto telefonis al aliaj gestejo, do mi povis enlitigxi. Verdire junulargestoj ne povas abonon rete. Telefonaabondo devas abonpagi.

  La gestejo, kio mi enlitigxis, ne estas en centra kvartalo sed ne estas maloportuna. Mi cxirlauxiris en  kvartalo mangxe marmangxajojn.

   (Artikulo daura estas.)

2011年6月10日金曜日

2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) の続きです。


 二日目の朝、6時になる前に起床しました。金門島へいくフェリーが8時半出航、その一時間前より手続き開始ということを聞いていたのでできるだけ早くフェリー乗り場に行こうと考えていたからです。しかしながら、ユースホステルのフロントに人がいない!と、よくよく見るとフロントの奥に寝ている人が…わざわざ起こすのは、と申し訳なく感じ、ロビーでネットに接続しつつ7時になるまで待ってからチェックアウトしました。
 

朝の龍頭路
 昨夜は騒がしかったコロンス島の中央通り、龍頭路もさすがに朝7時だと閑散としていました。中高生が通学する時間でもあるようで、虹色の傘をさした学生が坂を登っていっていました。虹色の傘は前日も何度か見かけたので、もしかするとここの名物なのかもしれません。フェリー乗り場で往復分の8元を払い、乗船。朝早いにもかかわらず両岸共に多くの人が船を待っていました。


 アモイ本島側に上陸後、金門島へのフェリー乗り場探しが始まりました。前日に調べたときに、ユースホステルの方に教わったところへ向かうと、そこは金門島へ行くフェリーではなく、金門島との以前(今も?)の軍事境界線辺りを周遊する遊覧船乗り場でした。自分は金門島を眺めるのではなく上陸したかったので、近くの売店に人に訊きフェリー乗り場を教えてもらいました。


金門島行フェリー
 フェリー乗り場は結構大きく、綺麗でした。チケット売り場で金門島水頭港行きのチケット(記憶が正しければ160元)を購入し、売店でカステラなんかを買って、フェリーに乗船しました。フェリーの乗客は大半が中華民国民のようでした。フェリーは片道1時間で運行しているのとしてはそれなりの大きさですが、小三通の時に大陸と台湾を結ぶ交通手段はこれだけだった(もしかしたら航空便もあったかもしれないですが)のかと思うと、かなり小さいなと感じました。


続きます。









2011年6月5日日曜日

2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一)

  今回、5月31日の夕方から6月1日の夜にかけて一泊2日でアモイ(廈門)と金門島を旅行してきました。なぜ平日にこんなスケジュールで行ったのかというと、水曜日は授業がなかったことと、ちょうど春秋航空の格安チケットが手に入ったからです。行きは浦東発、帰りは虹橋着という格安便らしいチケット構成で、4月下旬に茨城-上海便を予約した時は前日にフライトキャンセルを知らされるという事態になりましたが、幸い今回はそういうこともなく無事に上海に戻ってくることが出来ました。

アモイ
  浦東を17時発で、春秋航空は当然ながら機内食が出るわけではないので、浦東にいるうちに少しおなかを満たそうと思って空港内のハラルレストランでビーフンを食べましたが、やっぱり高い。値段の割に量が…春秋航空は予定通り離陸、満席でした。何処からともなく普通話でも上海語でもない発音が聞こえる。これが閩南語なのかな、と思いつつひと眠りしました。


  アモイ空港に到着。日本でいう福岡空港ぐらいか。いや、福岡空港よりは大きいかな。なんにせよ普段見ている上海浦東があまりにも大きいので小さく感じてしまいます。そこから市内の鉄道駅とコロンス島への波止場に向かうシャトルバスで波止場へ移動。波止場は大きくなく、コロンス島への移動のためだけにつくられたような感じ。コロンス島へは行きは運賃を払わず、帰りにコロンス島側の波止場で往復分の8元を支払います。但し、見晴らしの良い2階に上ると別に1元を払わなければなりません。船旅、というよりは普通の渡し船。でも、アモイとコロンス島の両方の夜景が見えるだけで充分乗る価値が有ると思います。

コロンス島
  コロンス島は小さい島の割に賑やかでした。歴史的な建物もあっておしゃれで夜景が本当によく似合う場所。ここで一つ困った事が起こりました。ユースホステルの空きベットがない。コロンス島が観光客が多く人気が有るのは知っていましたが、ネット予約不可で電話予約のみ、さらには先にお金を振り込まないといけないという条件が面倒でなにもせずに行った結果がこれです。普通の部屋は空きがあるようでしたが。幸い、そこのユースホステルの方がもう一軒の街の少し外れのほうにあるユースホステルを紹介してくださったので事なきを得ました。

  街のはずれと言っても30秒も歩けば中心の街に出られるので特に不便ということはなく、寧ろ静かでいい場所でした。チェックインを済ませてから屋台で食べ物を買いつつ街をぶらついて見ました。太鼓焼きみたいなのや魚丸というすり身が入ったスープなど、海のそばということもあって海鮮が多いです。

2011年6月4日土曜日

2011年6月4日 汉语普通话:江城旅游记

    我从5月27号到30号之间去武汉玩儿。我以前去过的中国城市都是沿海的,这是第一次去内陆城市的访问记。

古德寺
    27号晚上从虹桥火车站坐动车组去武汉。从上海到武汉至少要坐4个小时。在车厢里有电视广播两场电影,一场是成龙的,另一场是搞笑的功夫片。搞笑的那场是有时候说方言,我听不懂,但看字幕明白。坐4个小时座位,长归长,但没有那么辛苦。

    晚上10点左右达到汉口火车站。汉口站有开灯挺漂亮。听说最近修过的。我坐出租车去酒店,住在解放公园那边。

    28号早上去古德寺参拜。古德寺是武汉四大佛寺庙之一,历史最短的寺庙。寺庙有西洋感觉,为什么不知道,在里面看的人都是女生,可能是尼寺庙。以后去江汉路见朋友。江汉路有很多人,现在是步行街了。坐船渡长江到武昌。渡轮很多人坐,成为一个观光资源。先走河边看大桥,然后去户部巷吃热干面、汤包、烧麦等等多种小吃。

黄鹤楼
 29号去武汉大学见另一个朋友,我们一起去逛校园吃午饭。以后我一个人去湖北省博物馆,是免费参观的。排队很少,随便看看。那时候有关于西藏的特别展示,也好看。从博物馆出去而走武汉大学旁边,但我迷了路,绕了一大圈儿。回到武汉大学正门坐出租车去黄鹤楼。我在高中学过《黄鹤楼送孟浩然之广陵》,黄鹤楼一直想去的地方。上了黄鹤楼,看得见武汉全景。那里我认识两个广东人,跟她们一起走路说话,她们到我送到武昌火车站。

    武昌火车站旁边有网吧,我想上网但他们要求身份证,护照不可以使用,所以我无法上网。但我发现火车站里面有无线,用手机付款就可用。

    晚上9点半坐火车回上海。车厢里应该都是上海人,听见的词语都有上海口音。

    武汉有很多地方修路,空气比较脏,但有很多历史遗产,好玩儿的。

2011年2月6日日曜日

2011年2月6日 汉语普通话:旅行到家乡“大阪”

  上个学期结束了,我坐船回国。把在轮渡里的事情写在上条记事: 2011年2月4日 English: Shin-Ganjin, A trip From Shanghai to Osaka. 。这次把那个事情省略。
   1月24号,轮渡《新鉴真号》到大阪南港国际码头。下船之前,检疫官吏们调查所有乘客有没有生病。下船后也要通过海关。虽然这些真麻烦,但是因为最近发生口蹄疫,流感等很多问题,没办法。

大阪城天守阁
   从码头离开,我把行李放在国内码头柜子里。我第一次去大阪市内旅游,不太知道在哪里有好玩儿的地方。我先买了地铁一天通用车票,去大阪城。大阪城的天守阁是座代表建筑,但是不太老,现在的是1931年建立的。里面有很多历史展示,了解丰臣氏,德川氏跟大阪的关系。

  我对经济机构感兴趣,到大阪证券取引所(证券交易所,以后写“大证”)去看看。我去年在东京看东京证券取引所,所以我很期待代表日本西部的取引所。但在大证为游客的展示很少。

大阪证券取引所
    然后去“通天阁”,它是座大塔。设计者是跟东京电视塔的设计者一样的人,在大阪很有名。它附近有市场,但没我想象热闹。

    从塔上下来后,我去一家咖啡店。为什么我去咖啡店,因为我西班牙语老师推荐那家。我家乡,大学都离大阪很远,我没有机会去。店名称为《Café Las Palmas》(官方网站,日语)。我也推荐这家咖啡店。咖啡味道很不错,蛋糕也很好吃。老板说,这家咖啡店用意大利的泡咖啡的机器。店里感觉还可以,装饰很漂亮。我跟老板聊天了很多。

   虽然泡在咖啡店很有意思,但我要回码头坐船。我差点儿错过到九州岛别府的轮渡。十分钟前到了码头,可以买到船票。

   从后的事情下次写记事。