2011年3月11日の東日本大震災から15年が経った。
当時、僕は中国・上海に留学していた。
そして震災発生直後、上海からインターネットを通じて、中国人被災者の安否情報をGoogle パーソンファインダーへつなぐ作業や、災害情報を日本語から中国語へ翻訳するボランティアをしていた。
――ということ自体は覚えていた。
しかし、15年前のことである。
具体的にいつ、どんな人とやり取りし、何を翻訳していたのか。どれくらいの期間続けていたのか。
そこまで尋ねられると、僕自身の記憶はかなり曖昧になっていた。
今回、Twitter(現X)から自分の公式アーカイブをダウンロードする機会があった。そこには11万件を超える過去のツイートが残されていた。
そこで、そのデータをChatGPTに読み込ませ、2011年3月11日の発災から9月末までの約半年間、約1万4千件のツイートを検索し、震災関連の翻訳ボランティアについて書いたものを掘り起こさせてみた。
さらに、当時使っていたGmailにも検索範囲を広げてみた。
するとTwitter(現X)だけを調べた段階では見えていなかった、実際の翻訳依頼、翻訳ファイルの送信、担当時間のシフト、そして活動終了までの記録が残っていた。
15年前のTwitter(現X)、Gmail、Googleの公式記録、そして現在の僕自身の記憶。
それらを重ね合わせて、2011年3月の自分が何をしていたのかを改めて振り返ってみたい。
2011年3月11日――上海の教室で地震を知る
地震が発生したとき、僕は外国人留学生向けの中国語クラスの授業中だった。
上海は当然ながら揺れていない。
クラスメイトだった他国の留学生たちが、日本で大きな地震があったらしいと騒いでいた記憶がある。
しかし、そのときの僕は、
「日本のことだから、外国人がびっくりするような地震でも、実際には大したことはないのだろう」
くらいに、たかを括っていた。
日本は地震が多い国だし、外国人が驚いているだけだろう、と。
ところが授業を終えて留学生寮の自室へ戻り、Twitter(現X)などを見始めると、どうも様子がおかしい。
当時、中学生がテレビ放送を無断でUstreamへ流していたことも記憶している。それを見ながら、ようやく「これはただ事ではない」と思い至った。
Twitter(現X)の公式アーカイブには、中国時間3月11日15時10分、こんな投稿が残っていた。
「授業終わった直後、Twitter上とクラスメイトからの情報で地震が起きたことを知った。友人知人の無事を確認したいところだが、ここでは何もできない。」
「ここでは何もできない」。
当時の僕の感覚をよく表していると思う。
海とGFWの向こうから日本を見る
今とはインターネット環境も大きく違っていた。
中国・上海から日本の情報を得るには、海を隔てているだけでなく、いわゆるGFW(グレート・ファイアウォール)にも隔てられていた。
僕が暮らしていた留学生寮では、テレビを見るには別料金の契約が必要だったので、契約していなかった。
だからといって真面目に中国語を勉強していたわけでもない。
VPNを使ってGFWを潜り抜けては、ニコニコ動画とTwitter(現X)にかじりつくような毎日を送っていた。
そんな環境の中で震災が起きた。
目の前にある上海の街はいつも通りだった。
建物が揺れたわけでもない。津波が来るわけでもない。
それなのに、パソコンの画面の向こうからは信じられないような情報が次々と流れてくる。
臨場感がない。
日本の情報は、海を隔て、さらにGFWで隔てられた上海では簡単に受け取ることもできない。
それでも、その興奮と衝動から、「何かできることをしなければならない」という義務感に駆られていたのだと思う。
発災当日から目に入っていた「翻訳」という選択肢
発災当日のTwitter(現X)を見ると、中国時間16時03分にはGoogle パーソンファインダーが開設されたことを伝える投稿をリツイートしている。
その約5分後にもGoogle JapanによるGoogle パーソンファインダーの案内をリツイートしていた。
さらに18時17分には、
「【お願いと拡散】各国語が堪能な皆様方へ:twitterにおける災害情報、避難所情報等を、皆様がお得意な言葉に翻訳してツイートしていただけませんでしょうか?」
という呼びかけをリツイートしている。
翌12日にも、災害情報のボランティア翻訳に関する情報を拡散していた。
まだこの段階では、自分自身が翻訳作業を始めていたことまでは確認できない。
しかし、
「上海にいて何もできない」
という状態から、
「中国語を使えば、上海からでも何かできるのではないか」
という方向へ、考えが動いていったように見える。
3月13日――「上海からできることって何だろう?」
中国時間3月13日11時05分、僕はこう投稿している。
「上海からできることって何だろう?そんな15000ツイート目。」
その約30分後から、具体的な行動が始まる。
Twitter(現X)でやり取りしていた人に、
「上海にいますが、何か手伝えることがあれば、お知らせください。」
と申し出た。
さらに別の相手には中国語で、
「我住在上海的日本人留学生,我想帮助你的忙,请告诉我要做的事情啊!」
と送っている。
上海にいる日本人留学生で、何か手伝いたい。何をすればいいのか教えてほしい、という内容である。
中国人被災者の情報をGoogle パーソンファインダーへ
そして中国時間14時49分。
「寻人名字地址都翻译成日语后person finder上报告,好吗?」
と尋ねている。
尋人情報にある氏名や住所を日本語に翻訳した後、Google パーソンファインダーへ登録すればよいのか、と確認しているのである。
その後も、情報源をどのように記載するのか、中国語の原文へリンクするのか、といった具体的な相談をしている。
16時08分には、
「王小燕 中国研修生 青島市出身 23歳女性 宮城県で食品加工業に従事 消息あれば 中国 (+86)-15864062662……へ。」
と、中国側から得られたとみられる安否情報を日本語化している。
さらに、
「有的寻人信息重复了太多。我从事把那些统一工作。」
とも書いていた。
同じ人物について複数の尋人情報が存在するため、それを統合する作業をしていたのである。
Google パーソンファインダーへの登録方法についても、すでに登録されている人を二重に登録しないよう先に検索すること、住所は番地まで入力しないことなど、細かいルールを確認しながら作業していた。
中国と日本の間で安否情報を往復させる
当時やっていたことを15年後に改めて見ると、単純な「中国語から日本語への翻訳」ではなかった。
中国側に掲載された尋人情報を日本語に直してGoogle パーソンファインダーへつなぐ。
逆に、日本側で確認された避難者などの情報は、中国語にして微博など中国のウェブサイトへ広げる。
中国時間3月16日12時04分には、
「【扩散信息!】请大家这件信息转发到微博等中国网页。」
と投稿している。
日本と中国の間で、安否情報を往復させるような作業だった。
Google側の記録から見た同じ作業
15年後の今回、Google側に残された東日本大震災時の記録も確認してみた。
Googleによると、東日本大震災のGoogle パーソンファインダーは、地震発生から1時間46分後に公開された。
その後、避難所に掲示された手書き名簿を撮影し、インターネット上で共有する「避難所名簿共有サービス」が始まった。
そして、その画像をインターネット上のボランティアが読み取り、文字情報にしてGoogle パーソンファインダーへ入力する大規模な作業が行われた。
Googleの公式記録では、最終的に約5,000人がこの作業に参加したとされている。
僕は今回Twitter(現X)のログを掘り起こすまで、自分がやっていた作業と、Google側で展開していたこの大規模な分散作業との関係をほとんど意識していなかった。
避難者名簿から中国人の名前を読み取る
3月16日から17日にかけてのTwitter(現X)には、避難所などの名簿画像から中国人と思われる氏名を読み取っていた形跡が大量に残っていた。
中国時間3月16日13時33分、
「漢字じゃないと難しいな。Liu(刘)(劉)さんとSun(孙)(孫)さんだとは思うけど。下の名前は見ないとわからない。画像か何かある?」
と尋ねている。
翌17日には、
「左下のホクト食品なら書き起こせる。」
「任伟苹ではないかと思う。」
「ヤオイェンフェイ、ウーシュエフェイ、ワンミンミン。」
「真ん中はおそらく连岚(連嵐、リェン・ラン)だと思う。」
など、画像を見ながら一人ずつ氏名を判読している。
そして中国時間23時49分には、
「中国人名簿の現在の問題点:読みが中国語読みと日本語音読みとあり、統一されていない。中国語発音をきちんと転記出来ていない。漢字姓名がきちんと写っていない。」
と、作業上の問題まで整理していた。
現在の僕が住所や氏名の表記を仕事や研究の対象にしていることを考えると、15年前にもこんなことをしていたのか、と少し面白く感じる。
上海では日付が変わるまで名簿を読んでいた
今回の記事では、Twitter(現X)公式アーカイブにUTCで保存されている日時を、当時僕がいた上海に合わせてすべて中国時間(UTC+8)へ換算した。
中国人名簿の具体的な判読作業として最後に確認できるのは、3月18日0時44分。
「左下から、?辉、郭月明、刘丹、陈春龙、李?、徐飞。それより上はわからん…」
上海ではすでに日付が変わっていた。
僕は留学生寮のパソコンの前で、深夜まで避難者名簿の中国人名を読んでいたらしい。
Google パーソンファインダーから、つくばの翻訳ボランティアへ
その一方で、活動の中心は別の翻訳作業へ移り始めていた。
中国時間3月15日0時52分、Twitter(現X)で、
「谢谢你,我从明天以后专心做筑波市翻译志愿者,真不好意思。」
と書いている。
「明日からは筑波市の翻訳ボランティアに専念します」といった意味である。
Twitter(現X)だけを調べた段階では、この「筑波市翻译志愿者」が具体的にどの団体を指していたのかまでは確定できなかった。
ところが、今回さらにGmailを検索してみると、当時のメールが大量に残っていた。
Gmailに残っていた「つくば災害ボランティアセンター」
メールの差出人は「China Tsukuba」。
そして運営側から登録者へ一斉送信されたメールには、
「つくば災害ボランティアセンター 情報セクション 翻訳ボランティア登録者様 各位」
とはっきり記されていた。
別のメールでは、担当者自身が、
「つくば災害ボランティアチーム、翻訳班」
と名乗っている。
つまり、15年前の僕がTwitter(現X)で「筑波市翻訳志愿者」と呼んでいた活動は、少なくともGmailに残された記録上、つくば災害ボランティアセンターの情報セクションにおける翻訳ボランティア活動だったことが確認できた。
Twitter(現X)では見えなかった「シフト制」の翻訳
Gmailを掘ってみて、もう一つ初めて分かったことがある。
この活動は、単発で気が向いたときに記事を訳していたのではなかった。
翻訳担当者には、きちんと「シフト」が組まれていた。
例えば3月20日、運営側から、
「明日(3/21)のシフト 11:00~14:00で翻訳をおねがいします。」
というメールを受け取っている。
3月22日にも、
「明日23日の9:00~12:00の間、翻訳をお願いできますでしょうか。」
という依頼が来ている。
当時上海にいた僕は、決められた時間帯にパソコンの前で待機し、記事が送られてくれば中国語へ翻訳して送り返す、という形で活動していたようだ。
実際に何を翻訳していたのか
Gmailには、翻訳したファイルそのものまで残っていた。
3月20日には、
「北茨城市と高萩市の水道から放射性物質を検出 微量で『人体影響なし』」
という記事の翻訳を依頼されている。
僕は中国語に翻訳したWordファイルを添付して返信していた。
3月21日には、
「関東地方は22日まで雨 『東京近郊では人体に影響するレベルでは全くない』」
という記事を翻訳している。
3月23日には、「SAVE TSUKUBA」のWebページのインターフェースを中国語にする作業も依頼されていた。
同じ日には、
「県産牛乳の出荷自粛 自主廃棄へ」
「県、水の安全強調 北茨城など基準値以下」
という記事を翻訳し、
「翻訳完了しました。添付してお送りします。」
と、中国語訳のWordファイル2本を送り返していた。
15年前の自分が何を翻訳していたのか。
それがメールの添付ファイルという形で、そのまま残っていた。
「ヨウ素」「ガイガーカウンター」「マイクロシーベルト毎時」
このGmailの記録をTwitter(現X)と重ねると、当時のツイートの意味がさらによく分かる。
中国時間3月18日15時32分ごろ、
「翻訳ktkr」
その約1時間後には、
「翻訳終了!『ヨウ素』とか『ガイガーカウンター』とか確実に中国語を普通に勉強していても習わないだろうな…」
と投稿している。
翌19日にも、
「翻訳開始!」
と書いた後、
「我当翻译时不知道『マイクロシーベルト毎時』要怎么翻译。。。」
と投稿している。
「翻訳しているとき、『マイクロシーベルト毎時』をどう訳せばいいのか分からなかった」という意味である。
Twitter(現X)をさらに追うと、中国大陸、台湾、香港で「シーベルト」の中国語訳が異なることまで調べていた。
普通に中国語を勉強している日本人留学生が、「ヨウ素」「ガイガーカウンター」「マイクロシーベルト毎時」などという中国語を知っているはずもない。
しかし、原発事故が起きている最中の災害情報を訳す以上、訳さなければならなかった。
上海では「塩」が消えた
ここからは、Twitter(現X)やGmailではなく、2026年現在の僕自身の記憶である。
震災後、たしか口語、つまりスピーキングの授業で、学生がそれぞれプレゼンテーションをする機会があった。
僕が選んだテーマは、インターネット上におけるデマの拡散だった。
福島第一原子力発電所事故と放射能汚染について、不確かな情報をどのように受け取るべきなのか、といった話をした記憶がある。
当時の上海でも、原発事故をめぐる不安は猛烈な速度で広がっていた。
「放射能汚染による甲状腺がんを防ぐためにはヨウ素を摂取しなければならない」
というような情報が広がり、中国では一般的だったヨウ素添加塩が街中のスーパーマーケットから姿を消した。
日本で起きた原発事故が、海の向こうの上海で「塩を買う」という行動にまでつながっていく。
情報が国境を越えて伝播する速度を、当時の僕は目の前で見ていた。
Twitter(現X)だけなら「3月20日まで」に見えた
今回、最初にTwitter(現X)の公式アーカイブだけをChatGPTに調べさせたとき、震災関連翻訳の実作業が明確に確認できる最後の投稿は3月20日だった。
そのため当初は、
「ツイート上で確認できる活動期間は、主として3月13日から20日まで」
と整理した。
しかし、これは間違いではないものの、実際の活動期間を表してはいなかった。
Twitter(現X)に書いていない活動があったからである。
そこでGmailを検索すると、3月21日にも、23日にも、そしてそれ以降にも翻訳ボランティアとのやり取りが残っていた。
実際には3月31日まで続いていた
3月27日、運営側からメールが届いている。
そこには、
「地震後のつくば市の状況を鑑みて 本翻訳サービスを3月31日で終了する事となりました。」
と書かれていた。
終了までのシフトを組むため、参加可能な日時を尋ねられている。
僕は、
「30日は終日。31日は13時以降です。」
と返信している。
そして3月31日。
13時からのシフトが予定されていたが、14時17分、運営側から、
「現時点で更新された翻訳すべき記事は無い状況なので 本日の待機は解除していただいてかましません。」
というメールが届いている。
つまり、Twitter(現X)だけを見れば3月20日で活動が途切れたように見えたが、Gmailまで調べると、少なくとも3月31日の翻訳サービス終了日まで翻訳ボランティアとしてシフトに入っていたことが確認できた。
これは今回の「デジタル発掘」で最も面白かった発見の一つだった。
半年後もGoogle パーソンファインダーはブログに残っていた
それから約半年後。
中国時間2011年9月19日15時15分ごろ、Twitter(現X)にこんな投稿が残っていた。
「googleのperson finder、地震の後ブログのトップにはっ付けて今もそのままだけど、登録情報2200件になっていた。かなり減ったんだな。」
実際の登録作業を半年間続けていたわけではない。
しかし、震災直後にブログへ設置したGoogle パーソンファインダーを、半年後にもそのまま残していたらしい。
4月、日本へ帰って初めて見た「震災後の日本」
僕は震災発生時、日本にいなかった。
4月、中国政府奨学金の面接試験を受けるため、一時帰国した。
長崎の実家でテレビをつけたときの光景を今でも鮮明に覚えている。
何重にも重なる地震速報。
繰り返し流れるACのCM。
そして東京では、計画停電によって止まっているエスカレーターや、照明を落として仄暗くなったコンビニエンスストアを見た。
上海からインターネット越しに見ていた「震災後の日本」と、自分の目で初めて見た震災後の日本。
同じ出来事なのに、まるで違うものに感じられた。
日本にいなかったからこそ見えたもの
あの時、日本にいなかったからこそ見えた世界もあったと思う。
震災後、日本では「絆」という言葉が繰り返された。
しかし、被災地と東京では経験している震災が違う。
東京と九州でも違う。
そして上海から見ている日本もまた違った。
どこから見るかによって、同じ東日本大震災でも距離感も切迫感も違う。
僕自身、上海では街も地下鉄も大学もいつも通り動いている中で、パソコンの画面の中だけに「震災後の日本」が存在していた。
国境を越えて安否を待っていた人たち
当時の上海には、短期滞在者を含めれば10万人もの日本人がいる、とよく言われていた。
一方、日本には多くの中国人技能実習生が暮らしていた。
今よりも日中間の交流や往来は不安定でありながら、すでに非常に大きなものになっていた。
そして2011年は、まだ現在ほどスマートフォンが普及していた時代ではない。
被災した中国人、とりわけ技能実習生たち。
そして中国でその安否を待つ家族。
連絡が取れない時間が長くなるほど、その不安はどれほど大きかっただろうと思う。
15年前のTwitter(現X)とGmailを、15年後にChatGPTで発掘する
今回、Twitter(現X)の公式アーカイブとGmailをChatGPTに調べさせて、初めて思い出したことがたくさんあった。
中国側の尋人情報を日本語化してGoogle パーソンファインダーへ登録していたこと。
重複した安否情報を整理していたこと。
Google パーソンファインダーの住所入力ルールを確認していたこと。
画像になった避難者名簿から中国人の氏名を一人ずつ読み取っていたこと。
中国語読みと日本語の音読みが混在していることを問題にしていたこと。
その後、つくば災害ボランティアセンターの情報セクションで翻訳ボランティアとしてシフトに入っていたこと。
水道水、放射性物質、牛乳の出荷自粛などの記事を実際に中国語へ訳していたこと。
そして「ヨウ素」「ガイガーカウンター」「マイクロシーベルト毎時」といった、普通の留学生ならまず勉強しない単語と格闘していたこと。
僕自身の記憶だけなら、
「震災のとき、上海から中国語の翻訳ボランティアをしていた」
という一文になってしまっていただろう。
Twitter(現X)だけなら、
「3月13日から20日ごろまで活動していた」
と結論づけていたかもしれない。
しかしGmailを重ねると、実際には3月31日のサービス終了までシフトに入っていた。
一つのデジタル記録だけでは、過去の全体像は分からない。
記憶とデジタル記録
もちろん、ChatGPTが過去を「思い出してくれる」わけではない。
今回使った材料は、もともと僕自身が残していたものだ。
Twitter(現X)のツイート。
Gmailのメールと添付ファイル。
Googleが残した公式記録。
そして、15年後の僕自身の記憶。
それぞれ性質が違う。
当時その瞬間に書いたTwitter(現X)は臨場感がある一方、書かなかった行動は残らない。
Gmailには実務的なやり取りが残っている一方、そのとき何を考えていたのかまでは分からない。
Googleの公式記録からは、自分が参加していた活動をより大きな全体像の中に位置づけることができる。
そして現在の記憶には、上海の教室の雰囲気や、Ustreamの映像を見たときの感覚、日本へ帰って初めて見た暗いコンビニエンスストアのように、デジタル記録だけでは残らないものがある。
ChatGPTにできたのは、それら大量の断片を検索し、時間軸に沿って並べ、互いに照合することだった。
人間の記憶とデジタルアーカイブと生成AIを組み合わせることで、15年前の自分の経験を思っていた以上の解像度で復元することができた。
あの作業が、誰かの安心につながっていたら
Googleの記録によれば、避難所の名簿写真を文字に起こしてGoogle パーソンファインダーへ登録する作業には、約5,000人ものボランティアが参加した。
僕がその中でしていたことは、ごく小さな作業だったと思う。
中国人の名前を一つ読む。
簡体字と日本の漢字を対応させる。
中国語の発音を確認する。
中国側の尋人情報を日本語にする。
日本語の災害情報を中国語にする。
一つ一つは小さい。
それでも、その情報の向こう側には、連絡の取れない誰かを探していた人がいた。
当時上海には、短期滞在者まで含めると10万人の日本人がいると言われていた。一方の日本にも、多くの中国人技能実習生が暮らしていた。
日中関係は今とはまた違った不安定さを抱えながら、それでもすでに大量の人が両国の間を行き来していた。
Google パーソンファインダーでの中国人名の文字起こしも、つくば災害ボランティアセンターでの日本語記事の中国語訳も、僕自身にとっては中国語を使った経験として、そして人生経験として、非常に大きな糧になった。
15年後になって、当時のTwitter(現X)とGmailを読み返して思う。
上海の留学生寮のパソコンの前でやっていたあの作業が、ほんの少しでも、あの時の誰かの安心につながっていたらいいなと思う。
※この記事は、本人がchatGPTと協働で作成したものです。