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2011年9月28日水曜日

2011年9月28日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(六)

 ※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三)、 2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四) 、 2011年9月19日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(五) の続きです


 完結編です。お待たせしました


 模範街を出て、途中でセブンイレブンによりつつ、莒光楼につきました。建物の外には金門島デザインの電話ボックスが。楼の中はいろいろなものが展示されていて、金門包丁や、風獅爺(沖縄のしーさーのようなもの。おそらく同じ系統)、無形文化を映したパネルなどがありました。楼の最上階からの眺めもなかなかのものでした。また車に乗り込んで次の目的地を目指していると、法輪功の宣伝の垂れ幕が。金門島にいるとこういう小さなところでも、中台の境目にいるのが良くわかります。


 次の目的地はまた軍事施設。外には高射砲とかが展示してあります。で、中はというと、トンネルになっています。地下坑道です。危険が伴うのでヘルメット着用。トンネルを抜けると水路に出ます。今は出口が閉ざされていますが、昔は海から船を引っ張ってこのなかに格納できる仕組みになっていたとのこと。なんか変なライトアップがしてあるので異様な色で水面が光ってます。その後古崗楼の横を通り、金水国民小学跡へ。中は金門の歴史資料館のようになっています。特に華僑の歴史について詳しかった記憶(というかその写真しかとっていない、おそらく電池切れの為)。
 
 金頭フェリーターミナルに戻り、運転手と別れた後、切符売り場に向かいました。そこでアメリカ人の旅行客と出会い、英語より先に中国語が出てくる頭でなんとか英語で会話しました。同じ船に乗ったので、アモイ到着後に彼と食事をして、彼をアモイ駅まで送ってから別れました。そして僕は空港へ向かい、無事上海虹橋に到着しました。虹橋からは静安寺までバスが出ているので、それに乗ってから帰宅するとタクシー代がかなり安く済みます。











2011年9月19日月曜日

2011年9月19日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(五)

  ※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三) 2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四) の続きです


 更新が遅れすぎてもうなにがなにやら…写真見返しながら出ないと自分でもどんなことしたか忘れかけている…


 明魯王墓を後にして、次の目的地へ。運転手のおばさんがお勧めのところがあると言うので、そこで降りると「喫茶店の博物館」らしい。「特約茶室」…と書いてあるけれども意味がわからない…なぜか女性のシルエットが書かれているし…と思いつつ中に書いてあるのを読んでいくと、どうやら軍人向けの喫茶店だったのか、というのがわかった。もっと読んでいくと、要するに国民党軍が設立・運営する「茶室」という名の慰安施設だったらしい。軍人は安く利用でき、公務員にも割引価格があり、一般もお金を払えば利用できた、とのこと。僕はそういうのは負の歴史として残すだろうと思うんだが、この記念館の雰囲気はどうもそういう感じでもなく、あくまで歴史の1ページに存在していたということを書き残しているだけという風に感じた。記念館には喫茶店(普通の。)が併設されていて、そこで少し休憩。チーズケーキはおいしかった。おすすめ。運転手のおばさんの弟さんが経営されているとのことで、ああ、そういう理由で連れてきたのか、と少し納得。

把意思變爲力量


 またタクシーに乗る。道の途中のロータリーの真ん中には“把意思變爲力量(意思を力に)”と書いてある兵士の像があったり、国共対立の境目にいることを実感させられます。


金門鎮總兵署
 次の地点は金門鎮総兵署。簡単に言うと、昔の役所址に行きました。この総兵署は清の時代につくられたようで、上には会議をしている様子の蝋人形とか昔の武器、金門の歴史についての説明が、地下牢には罪人の蝋人形とか刑罰の道具とかが展示してありました。金門島の歴史には華僑の存在が不可欠なようです。総兵署の門前は店が並んでいました。有名なお粥の店もこの通りにあるようです。大きな門もあり、近くには模範街と呼ばれる、90年ほど前に当時の商工会が計画してつくったレンガ造りの通りも有ります。模範街ではいろいろなものが売られていました。
模範街


もう少し続きます。多分次回で最後になるかと。

2011年7月31日日曜日

2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三) の続きです


更新長らくお待たせしました。


  金門民俗文化村を出て、チャーターしたタクシーで次の目的地へと向かいました。と言っても前の記事で言った通り運転手のおばさんと相談というかおばさんがほとんど決めてしまってるような状態でしたが。次は太湖といういかにも中国によくありそうな湖の名前のところへ。聞くところによると太湖は人工湖らしく、金門島自体もそれほど大きくないのでそれなりの大きさの湖です。目的地は太湖ですが、この湖を見に来たわけではなく、そこに隣接する記念館を見るためです。


中華民国側のプロパガンダビラ
  名前は「八二三戦史館」。前の記事でも出た、1958年に金門島が砲撃された際の最初の砲撃があった日が8月23日で、中華民国側ではそれを取って「八二三砲戦」と呼んでいるようです(中華人民共和国側での呼称は「金門砲戦」)。記念館の周辺には戦車やら飛行機やらが置いてあります。そういえば靖国神社のところもこんな感じでした。戦史館は入場無料で(後述する予定ですが、金門島の記念館は全て入場無料でした)、それほど大きくはないですが展示品は適度にまとまっていて見やすかったです。時代背景の説明から入り、実際に戦場となった金門の変化、砲弾や双方のプロパガンダの展示等がありました。プロパガンダの展示なんかは個人的には面白かったです。どちらも自分の国の生活が素晴らしいことを実際にどうかは別として見せつけるわけで、それはつまり、相手の側が見ている「素晴らしい生活」が何かを探りながらそれを表わしているということは非常に興味深いなと思いました。対面には兪大維先生紀念館という軍人の記念館があり、そのひとの受章歴やなんやかんやいろいろ展示してありました。


明魯王墓
 その後、車に乗りこみ、魯王の墓というところで降ろされました。明朝の時代の魯王ということらしいですが、自分が知識ない上に、特に説明もないので実際どういうことをした人なのかもよくわかりませんでしたが、お墓の形がドーム型になっていて、亀甲墓とはまた少し違うものの、文化の流れとしては近いものがあるのかな、と感じました。



まだ続きます。

2011年6月28日火曜日

2011年6月28日 Esperanto: La vojagxolibro de "Dua" Fujian. Amoj kaj Kinmen. Volumo 2

 Cxi tio artikulo estas esperantigo de 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二)  en la japana. Kaj Cxi artikulo havas antauxan artikulon: 2011年6月11日 Esperanto: La vojagxolibro de "Dua" Fujian. Amoj kaj Kinmen. Volumo 1 .


Longtou-lu
   En mateno la 6-a de la dua tago mi vekigxis. Onidire la shipo el Kinmen insulo ekos frue de la 8-a, do mi intencas ensxipi tion. Sed gustejisto ne jam vekigxs, do mi atendis gxis la 7-a.


   Lastanokte en Longtou-lu, la Centro de Koronsu insulo havis multaj homoj sed matene havas malmulte. Mezolernejaj lernantoj iris havinte ombrelon helan. Enshipeje mi pagis 8 yuan kaj ensxipi. Estas frue matene sed multaj homoj atendis shipon.

  Reveninte al Amoy, mi sercxis Internacian Havenon. Amoy havas multajn havenojn, do mi errare iris al diferencan havenon. Tie havene estas la haveno por sxipo de cxirkaux kinmen. Mia intenco ne estas vidado kinmen, sed alterigxado. Mi demandis al kioskisto kaj iros al intercia haveno.


La Sxipo al Kinmen
 Internacia haveno estas pli granda ol kiel mi pensis. Mi acxetis bileton da 160 yuan. Multo de ensxipanto estas Taiwanujo, mi pensas. Sxipo estas granda, sed malgranda kiel la sxipo de ligado Taiwan kaj Cxinujo.



  (Artikulo daura estas.)

2011年6月25日土曜日

2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) の続きです。

  外は雨が降っていたものの、余り揺れはなく無事に金門島に到着しました。中華人民共和国と中華民国をまたぐので当然ながらアモイで出国手続き、金門に到着後は入国手続きが有ります。金門島側の水頭フェリーターミナルはあまり大きくなく、長崎港のフェリーターミナルと比べても小さいほうです。ここからはアモイの2つの港と、泉州に行く船が出ているようです。フェリーターミナルの出口では「大陸-台湾間の貿易手続きを代行します」みたいなことが書かれてある名刺を配っている人がいました。小三通から(大)三通に変わった今でも、ここは大陸-台湾間貿易の重要な場所なのかもしれません。どうやら金門島は島民向けに無線LANを開放しているようです。住民の登録コードが必要なようで、他の人は使用できないようでした。その代わりにフェリーターミナルでは別のWi-Fiが飛んでいました。

  いつまでもフェリーターミナルにいるわけにもいかないので外に出てタクシーをチャーターしました。聴くところによるとバスは本数が少なく非常に利用しにくいとのことで、その上流しのタクシーもあまりないようだったのでこの方法が一番便利かもしれません。運転手に訊くところによると、チャーター1時間いくらと相場が有るとのこと。最終的には負けてもらいましたが。また、あのフェリーターミナルからは大体の客が空港へ行くのでそれにも相場が決まっているようです。

  今回金門島を旅行して得た金門島のイメージは軍事基地・華僑・農村、こんな感じです。金門島は一応少しは下調べしていましたが、優柔不断なのでコースを運転手と相談しながら行くことにしました。
馬山「還我河山」

  まずは馬山。金門島の北西端にある非常に小さな岬のようなところなのですが、ここに基地が有り、1958年に金門島が砲撃された際に要となった場所とのことで、ここのトーチカからは大陸が見えます。また、緊張が緩和する以前はここにあるラジオステーションから大陸へ向けてプロパガンダ放送がなされていたそうです。「還我河山(我々に河山[=大陸]を返せ!)」という字が迷彩色の壁の中で目立っています。馬山は入口で道が二つに分かれており、右に曲がると見学用のトーチカなのですが、左に曲がってしまうと銃を持った軍人が見張りに立っている本当の基地につながるようなので注意が必要です。逆にいえば見張りがいるので間違って侵入することはないです。

金門民俗文化村
  次は金門民俗文化村へ。ここは山后民俗文化村とも呼ばれるようで、金門島の歴史的な集落を改修して展示してあります。実際に人が住んでいて、それでいて観光地によくある「この時代の生活をやらせてますよ」感はなく、のんびりした生活感を味わうことが出来ました。この村出身の華僑は神戸にも行ったらしく、神戸での事業の史料等が展示されていました。少しおなかがすいたので海蚵煎(おあつぇん、牡蠣入りオムレツ)を食べました。ここには民宿もあるようです。

続きます。

2011年6月11日土曜日

2011年6月11日 Esperanto: La vojagxolibro de "Dua" Fujian. Amoj kaj Kinmen. Volumo 1

  Cxi tio artikulo estas esperantigo de 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) en la japana.

  Mi vojagxis en Amoj kaj Kinmen de majo 31-a vespero gxis juno 1-a nokte. Cxi vojagxo okazis en ordinala tago kial mi ne havas klason en merkredo kaj acxetis biletojn aeroplanajn malmultakoste. Mi acxetis biletojn, Pudong-Amoj kaj Amoj-Hongqiao. Mi antauxe acxetis bileton de Chunqiu aeroplano sed ili cxesis la flugxadon. Cxi tiam mi revenis al Sxanhajo senprobleme.

Amoj (Xiamen)
  Mi mangxis rizovermicxelon en mangxejo de Pudong flughaveno antaux mi enplanigxis. En flughavena mangxejo mangxas multekoste... Multaj pasagxeroj estas en la aeroplano. Mi auxdis La Cxinan, La sxanhajan kaj alian lingvon. Mi pensas, ke tio estas La Minnan-a. Mi endormis malmulte.

  Venis mi al Amoj flughaveno. Pudong flughaveno, kion mi vidas ordinare, estas tre granda, do mi pensas Amoj flughaveno estas negranda. Mi enauxtobusigxis al ponto de cxi tie. La ponto estas malgranda. Gxi estas nur por Kolongsu. Kiam oni enshipigxas al Kolongsu, oni ne devas acxeti bileton. Reveno de Kolongsu oni devas acxeti irorevenan bileton. Se vi enshipigxi en superetagxo, vi devas pagi 1 yuan. Shipo estas malgranda sed havas belan noktopejzagxon.

Kolongsu
  Kolongsu, malgranda insulo, estas movoplena. Kolongsu havas histriajn konstruajojn. Mi iras al junulargestejo sentelefone, la gestejo ne havas liton neokupitan. Gestejisto telefonis al aliaj gestejo, do mi povis enlitigxi. Verdire junulargestoj ne povas abonon rete. Telefonaabondo devas abonpagi.

  La gestejo, kio mi enlitigxis, ne estas en centra kvartalo sed ne estas maloportuna. Mi cxirlauxiris en  kvartalo mangxe marmangxajojn.

   (Artikulo daura estas.)

2011年6月10日金曜日

2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) の続きです。


 二日目の朝、6時になる前に起床しました。金門島へいくフェリーが8時半出航、その一時間前より手続き開始ということを聞いていたのでできるだけ早くフェリー乗り場に行こうと考えていたからです。しかしながら、ユースホステルのフロントに人がいない!と、よくよく見るとフロントの奥に寝ている人が…わざわざ起こすのは、と申し訳なく感じ、ロビーでネットに接続しつつ7時になるまで待ってからチェックアウトしました。
 

朝の龍頭路
 昨夜は騒がしかったコロンス島の中央通り、龍頭路もさすがに朝7時だと閑散としていました。中高生が通学する時間でもあるようで、虹色の傘をさした学生が坂を登っていっていました。虹色の傘は前日も何度か見かけたので、もしかするとここの名物なのかもしれません。フェリー乗り場で往復分の8元を払い、乗船。朝早いにもかかわらず両岸共に多くの人が船を待っていました。


 アモイ本島側に上陸後、金門島へのフェリー乗り場探しが始まりました。前日に調べたときに、ユースホステルの方に教わったところへ向かうと、そこは金門島へ行くフェリーではなく、金門島との以前(今も?)の軍事境界線辺りを周遊する遊覧船乗り場でした。自分は金門島を眺めるのではなく上陸したかったので、近くの売店に人に訊きフェリー乗り場を教えてもらいました。


金門島行フェリー
 フェリー乗り場は結構大きく、綺麗でした。チケット売り場で金門島水頭港行きのチケット(記憶が正しければ160元)を購入し、売店でカステラなんかを買って、フェリーに乗船しました。フェリーの乗客は大半が中華民国民のようでした。フェリーは片道1時間で運行しているのとしてはそれなりの大きさですが、小三通の時に大陸と台湾を結ぶ交通手段はこれだけだった(もしかしたら航空便もあったかもしれないですが)のかと思うと、かなり小さいなと感じました。


続きます。









2011年6月5日日曜日

2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一)

  今回、5月31日の夕方から6月1日の夜にかけて一泊2日でアモイ(廈門)と金門島を旅行してきました。なぜ平日にこんなスケジュールで行ったのかというと、水曜日は授業がなかったことと、ちょうど春秋航空の格安チケットが手に入ったからです。行きは浦東発、帰りは虹橋着という格安便らしいチケット構成で、4月下旬に茨城-上海便を予約した時は前日にフライトキャンセルを知らされるという事態になりましたが、幸い今回はそういうこともなく無事に上海に戻ってくることが出来ました。

アモイ
  浦東を17時発で、春秋航空は当然ながら機内食が出るわけではないので、浦東にいるうちに少しおなかを満たそうと思って空港内のハラルレストランでビーフンを食べましたが、やっぱり高い。値段の割に量が…春秋航空は予定通り離陸、満席でした。何処からともなく普通話でも上海語でもない発音が聞こえる。これが閩南語なのかな、と思いつつひと眠りしました。


  アモイ空港に到着。日本でいう福岡空港ぐらいか。いや、福岡空港よりは大きいかな。なんにせよ普段見ている上海浦東があまりにも大きいので小さく感じてしまいます。そこから市内の鉄道駅とコロンス島への波止場に向かうシャトルバスで波止場へ移動。波止場は大きくなく、コロンス島への移動のためだけにつくられたような感じ。コロンス島へは行きは運賃を払わず、帰りにコロンス島側の波止場で往復分の8元を支払います。但し、見晴らしの良い2階に上ると別に1元を払わなければなりません。船旅、というよりは普通の渡し船。でも、アモイとコロンス島の両方の夜景が見えるだけで充分乗る価値が有ると思います。

コロンス島
  コロンス島は小さい島の割に賑やかでした。歴史的な建物もあっておしゃれで夜景が本当によく似合う場所。ここで一つ困った事が起こりました。ユースホステルの空きベットがない。コロンス島が観光客が多く人気が有るのは知っていましたが、ネット予約不可で電話予約のみ、さらには先にお金を振り込まないといけないという条件が面倒でなにもせずに行った結果がこれです。普通の部屋は空きがあるようでしたが。幸い、そこのユースホステルの方がもう一軒の街の少し外れのほうにあるユースホステルを紹介してくださったので事なきを得ました。

  街のはずれと言っても30秒も歩けば中心の街に出られるので特に不便ということはなく、寧ろ静かでいい場所でした。チェックインを済ませてから屋台で食べ物を買いつつ街をぶらついて見ました。太鼓焼きみたいなのや魚丸というすり身が入ったスープなど、海のそばということもあって海鮮が多いです。