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2011年11月6日日曜日

2011年11月6日 日本語:Nanzningz(南寧)とBwzswz(百色)に行ってみた 前編

112日から6日にかけて、また旅行に行ってきました。前回(大理)に同じく、2日の晩の列車と5日の晩の列車なので実質旅行先にいた時間は3日間というわけで25日です。「題名は何と読むの?」と思われた方も多いかと思います。各地名のチワン語読みなのですが、僕も読み方が良くわかっていません。とりあえずzが声調を表すので、nanningbwswwは日本語の「う」の音)に声調をつけて読めばいいんですが…


雲南大学から昆明駅へはいつも通り(というほどは乗ってないけど)バスで。前回よりも出発時間が早いので、駅もまだ賑やかでした。ここから今回の目的地、南寧までは13時間の旅です。11時間で着くもの(Kから始まる快速)もありますが、今回はそれではなく無印のもの(慢車)に乗りました。終点じゃないと乗り過ごしそうな気がしたので。


3日の朝9時半過ぎには南寧に到着しました。南寧市は広西チワン族自治区の首府です。しかしながら、地球の歩き方「中国」には載っていなかったりする、「人の興味を引かない」大都市です。実際中国人でも南寧を目的地として旅行することは少ないようです。



南寧、民族大道を挟んで民族広場に向かう大画面。
南寧駅を出て、6番バスに乗り、今回の宿泊先に向かいました。ネットで調べて見つけた”Nanning city hostel”というところなのですが、これがまた見つからず、通行人や保安人員に何度も聞く羽目になりました。結局、ホステルは団地の一角の最上階というものすごく辺鄙なところにありました。予約なしで向かいましたが一応空きがあり泊まることが出来ました。他の客は欧米人ばかりで、従業員に訊くところによると、日本人は今までで2人ぐらいしか来ていないのだとか。まぁ地球の歩き方に乗ってない街のyouth hostel ではないところだからそんなもんなのでしょう。


あまりにも直線を貫く陸路のシルクロード。
宿泊登記を済ませた後、外に出ました。万达广场(Wanda Plaza)という中国の大都市にはよくあるショッピングビルの一階で食事をしました。荷叶饭という蒸したご飯の上におかずを載せてある料理でしたが、これが結構おいしかったです。珍しくご飯がおいしいと思いました。


その後、民族大道を歩いて広西チワン族自治区博物館へ行きました。ここはガイドブックには有料と書いてあったのですが、実際は無料でした。入り口で入場券を受け取るだけで入れます。中はそれほど大きくない(45階ほどある建物だが展示は2階まで)ものの、まぁそれなりには見るものが有ったかなと思います。

侗族の橋。屋根をつけて橋の上でおしゃべりしたり、
将棋をしたりするそう。
東アジア、東南アジアを紹介する特別展もありました。朝鮮が有る一方韓国がないなど、独特の感覚を受けましたが、日本の説明で「日本の人口は1.26億人、主要民族は大和族で北海道地区にはアイヌ族がおよそ2.4万人おり…」と「大和族」というのも独特な感じがしますが(大和族は、自分の記憶でいえば、中国残留孤児に一時的につけられた民族名)、アイヌの具体的な人口についてどこからデータを引っ張ってきたのだろうか、と不思議に思いました。

建物の裏には文物苑があり、昆明の民族村をすごく小規模化したような感じで少数民族建築が建っていました。記念にTシャツを買いました。これが裏に漢字表記+英語表記+チワン語表記で多言語萌えです。


博物館を出て、途中の広西チワン族自治区図書館で休憩してホステルに戻りました。図書館の本を見てみたかったのですが、面倒なようだったので辞めておきました。南寧は予想以上に暑かったので、クーラーの少し効いている館内は過ごしやすかったです。


切断されてしまった鰐。
ホステルの従業員から、「中山路小吃街でご飯食べるといいよ」と言われたので中山路に行って散策しつつ夕食を食べました。野生菌(きのこ)米粉(米で出来た麺、ビーフンとはまた違う)+豆腐干と豆乳です。如何にも地元っぽい店は人が多くて一人で入るのをためらったので、ちょっときれいな感じの店で食べました。それでも8元。他には牡蠣や雀、鳩、鰐肉なんかも売っていました。鰐肉は見た目鰐のままのものが店先に置いてありました。


食後は南湖公園に行こうと思い、歩いて向かいました。途中で阿姨に道を尋ねたら「結構遠いよ」と言われたものの、歩き続けました。南湖隧道というところであきらめてホステルへ戻ったのですが、その引き返したところの右には門が有ったようです。少なくともいい感じの散歩にはなりました。


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