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2011年11月11日金曜日

2011年11月11日 Español: La Vida en “La ciudad de primavera”

Kunming se llama “Chuncheng”. Chuncheng significa “La ciudad de primavera”. Porque Kunming es más cómado que nada ciudad en chino para un año. Kunming está próxima a las naciones de sudeste asia. Mucho avíon vola a sudeste asia.

La  Calle de Nanping , La Centro de Kunming.
 Llevo dos meses viviendo en Kunming. Ahora estudio los idiomas de la minoría en La universidad de Yunnan. Estudio frecuentemente en una cafetería porqué tengo sólo tres clases.  Estudio español y arabe ahora. Me interesa el Idioma del chuang (cuengh) despúes de ir a Guangxi. 

2011年11月7日月曜日

2011年11月7日 日本語:Nanzningz(南寧)とBwzswz(百色)に行ってみた 後編


2日目の午前中はホステルの中でぐだぐだしていました。というのも、思ったよりも南寧が見るところが少なく、多くの観光地がある程度時間をかけていくような場所にあるので、他の場所に移動しようと思ったからです。
 
老友粉と豆乳
 12時頃になり、ホテルをチェックアウトしました。そのまま南寧駅へ向かい、切符売り場で当日の南寧-百色の硬座と翌日の百色-昆明の硬卧の切符を購入しました。そして駅前の店で老友粉を食べ、駅前地下商店街のようなところを見て回ったりしました。南寧らしく、民族文芸品や民族衣装なども多く陳列されていました。

2011年11月6日日曜日

2011年11月6日 日本語:Nanzningz(南寧)とBwzswz(百色)に行ってみた 前編

112日から6日にかけて、また旅行に行ってきました。前回(大理)に同じく、2日の晩の列車と5日の晩の列車なので実質旅行先にいた時間は3日間というわけで25日です。「題名は何と読むの?」と思われた方も多いかと思います。各地名のチワン語読みなのですが、僕も読み方が良くわかっていません。とりあえずzが声調を表すので、nanningbwswwは日本語の「う」の音)に声調をつけて読めばいいんですが…


雲南大学から昆明駅へはいつも通り(というほどは乗ってないけど)バスで。前回よりも出発時間が早いので、駅もまだ賑やかでした。ここから今回の目的地、南寧までは13時間の旅です。11時間で着くもの(Kから始まる快速)もありますが、今回はそれではなく無印のもの(慢車)に乗りました。終点じゃないと乗り過ごしそうな気がしたので。


3日の朝9時半過ぎには南寧に到着しました。南寧市は広西チワン族自治区の首府です。しかしながら、地球の歩き方「中国」には載っていなかったりする、「人の興味を引かない」大都市です。実際中国人でも南寧を目的地として旅行することは少ないようです。

2011年10月28日金曜日

2011年10月28日 日本語:大理国の首都だったところに行ってきた。後編


大理古城
 大理2日目以降はほとんど街歩きでした。2日目は、午前中はぐだぐだして、昼に白族のレストランでご飯を食べました。こちらのレストランは、店頭に食材が並んでいて、その食材を選んで、調理法を指定して調理してもらうという方法で、大概にしてメニューがないので少し面倒です。値段もわかりにくいですし…値段がわからないのでぼったくられてるのかどうかすら良くわからないという…観光地価格のような気もするんですけどね。

 その後大理古城内にある大理博物館に入りました。大理博物館は建物は平屋で何軒かあり、中国でよくある碑文が外に展示してあったり、古城の通りに比べると人もほとんどおらず、ゆったりした空気が流れていました。屋内の展示は大理が仏教国であったことに関連する仏像や、いかにも中国らしい愛国烈士の展示などがありました。無料でした。

2011年10月22日土曜日

2011年10月22日 日本語:大理国の首都だったところに行ってきた。前編

    旅行の話は時系列順にしようと思っていたのですが、更新頻度が低いので直近のを先に書くことにしました。悪しからず。

   10月12日夜より16日早朝まで、大理旅行に行っていました。といっても、車中泊-ホテル-ホテル-車中泊だったので大理にいたのは13日朝から15日夜までです。

ここ昆明からは鉄道で7時間半、バスでは5時間ほどで大理につきます。車のほうが列車より早い(火车没有汽车快)は雲南十八怪の一つです。雲南十八怪とは雲南の18の不思議という意味で、18はあくまで数が多いことを示すもので、100個以上あるようです。日本語でいえば雲南七不思議という感じでしょうか。夜行列車で出発すれば寝ている間につくのでちょうどいい長さです。硬卧(二等寝室)の3段ベッドの一番上で83元(約1000円)です。

日本語話者であれば、

2011年10月21日金曜日

2011年10月21日 日本語・汉语普通话(双語):日中开个小玩笑「中国共産党の正体」

日本人:「中国共産党の正体って?」

大陆人:“中国共产党是:中国工人阶级的先锋队,同时是中国人民和中华民族的先锋队,是中国特色社会主义事业的领导核心,代表中国先进生产力的发展要求,代表中国先进文化的前进方向,代表中国最广大人民的根本利益。党的最高理想和最终目标是实现共产主义。”

台湾人:“正體是中國共產黨。”




「正体」と“正體”。。。ww

2011年9月30日金曜日

2011年9月30日 日本語:熱いシャワーを浴びて思ったこと。多文化共生とかなんとか

  本当は7月に北京と天津旅行したときのことを書こうと思ったんですが、ちょっと思ったことがあったのでこっちを優先して書いてみます。俗に言う「チラシの裏」というやつです。

昆明に来て早くも3週間になりました。いろいろとありましたが徐々にここの生活に慣れてきたかな、といったところです。寮の中身が所謂留学エージェントのサイトで紹介されているのとは全く違うんですが、この話はまた後日ということで。

ところで、この寮にはシャワー室があるんですが、太陽熱給湯器でこれまたお湯が全然出ない…恐らく水道の使用量に対して設置している給湯器の数が足りないんでしょうが、この涼しい街でシャワー浴びようと思って水が出てくるというのはちょっと困ります。こちらに前からいらっしゃった日本人留学生の方に教えていただいて、学外にある(でも運営は大学関係?)有料のシャワーに行きました。

そこでかなり久しぶりに熱いシャワーを浴びた、というわけなんですが、ここでちょっと思ったことが。僕は日本にいて「お湯を張った浴槽につかる」というのが習慣になっているわけですが、こちらの人にはそれが習慣ではない。僕は「お風呂に浸かる」ことで幸せだな、と思うことがあります。逆にお風呂に浸かれないというのはちょっと不幸せな感じもします。しかしながら、こちらに住んでいる人はシャワーを浴びることに不幸せを感じる、ということは少ないのではないかと。

で、いつもの癖で妄想というか中身がぶっ飛んでしまうわけですが、例えば日本人が「風呂に浸かれないなんてなんて不幸な人びとなんだ」と思ってこちらの人びとにお風呂を普及させて浴槽に浸かれるようにする、そして、「これで雲南の人も幸せになった」と日本人が思う。みたいなことを考えてしまったわけです。

多文化共生に興味がある僕は、こういう文化の押しつけについてどうすべきか、というのをもっと考えていきたいと思いました。上のは飽くまで例であり、しかもただの妄想ですが、「その文化の枠外にいる人間が彼・彼女自身の価値観によってその文化のあり方に口出ししてしまう」というのは世界中で起こっているのではないかな、と思います。

これは逆の事も言えると思います。つまり、上の話は「文化を押しつけること」でしたが、「文化を守らせること」も同じように問題があるのではないか、と。「あなた方の文化は貴重なものなので、その文化を捨てないでください」というのは、実は彼らの選択する権利を奪っているというこです。文化を守ったり捨てたりすることはそれぞれの民族、それぞれの人が決めることであって、他人が決め付けることではない。言ってしまえば、彼らの選択であるならば、その文化を完全に捨てて、他の文化に同化することも許されるべきだと思います。その捨てられた文化を資料として守るのは学者の役割ではないでしょうか。

彼らが選択した結果ではなく、他者が彼らに文化を「守らせる」ことになってしまっていないか。また、彼らに文化を捨てさせようとしていないか。僕が思うに、今の中国は少数民族政策においてその両方の問題点をはらみ、また政府の側もその点を考え始めているところです。非常に興味深い場所だと思います。文化同士が接触して変化していくというのも興味深いです。

2011年9月28日水曜日

2011年9月28日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(六)

 ※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三)、 2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四) 、 2011年9月19日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(五) の続きです


 完結編です。お待たせしました


 模範街を出て、途中でセブンイレブンによりつつ、莒光楼につきました。建物の外には金門島デザインの電話ボックスが。楼の中はいろいろなものが展示されていて、金門包丁や、風獅爺(沖縄のしーさーのようなもの。おそらく同じ系統)、無形文化を映したパネルなどがありました。楼の最上階からの眺めもなかなかのものでした。また車に乗り込んで次の目的地を目指していると、法輪功の宣伝の垂れ幕が。金門島にいるとこういう小さなところでも、中台の境目にいるのが良くわかります。


 次の目的地はまた軍事施設。外には高射砲とかが展示してあります。で、中はというと、トンネルになっています。地下坑道です。危険が伴うのでヘルメット着用。トンネルを抜けると水路に出ます。今は出口が閉ざされていますが、昔は海から船を引っ張ってこのなかに格納できる仕組みになっていたとのこと。なんか変なライトアップがしてあるので異様な色で水面が光ってます。その後古崗楼の横を通り、金水国民小学跡へ。中は金門の歴史資料館のようになっています。特に華僑の歴史について詳しかった記憶(というかその写真しかとっていない、おそらく電池切れの為)。
 
 金頭フェリーターミナルに戻り、運転手と別れた後、切符売り場に向かいました。そこでアメリカ人の旅行客と出会い、英語より先に中国語が出てくる頭でなんとか英語で会話しました。同じ船に乗ったので、アモイ到着後に彼と食事をして、彼をアモイ駅まで送ってから別れました。そして僕は空港へ向かい、無事上海虹橋に到着しました。虹橋からは静安寺までバスが出ているので、それに乗ってから帰宅するとタクシー代がかなり安く済みます。











2011年9月19日月曜日

2011年9月19日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(五)

  ※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三) 2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四) の続きです


 更新が遅れすぎてもうなにがなにやら…写真見返しながら出ないと自分でもどんなことしたか忘れかけている…


 明魯王墓を後にして、次の目的地へ。運転手のおばさんがお勧めのところがあると言うので、そこで降りると「喫茶店の博物館」らしい。「特約茶室」…と書いてあるけれども意味がわからない…なぜか女性のシルエットが書かれているし…と思いつつ中に書いてあるのを読んでいくと、どうやら軍人向けの喫茶店だったのか、というのがわかった。もっと読んでいくと、要するに国民党軍が設立・運営する「茶室」という名の慰安施設だったらしい。軍人は安く利用でき、公務員にも割引価格があり、一般もお金を払えば利用できた、とのこと。僕はそういうのは負の歴史として残すだろうと思うんだが、この記念館の雰囲気はどうもそういう感じでもなく、あくまで歴史の1ページに存在していたということを書き残しているだけという風に感じた。記念館には喫茶店(普通の。)が併設されていて、そこで少し休憩。チーズケーキはおいしかった。おすすめ。運転手のおばさんの弟さんが経営されているとのことで、ああ、そういう理由で連れてきたのか、と少し納得。

把意思變爲力量


 またタクシーに乗る。道の途中のロータリーの真ん中には“把意思變爲力量(意思を力に)”と書いてある兵士の像があったり、国共対立の境目にいることを実感させられます。


金門鎮總兵署
 次の地点は金門鎮総兵署。簡単に言うと、昔の役所址に行きました。この総兵署は清の時代につくられたようで、上には会議をしている様子の蝋人形とか昔の武器、金門の歴史についての説明が、地下牢には罪人の蝋人形とか刑罰の道具とかが展示してありました。金門島の歴史には華僑の存在が不可欠なようです。総兵署の門前は店が並んでいました。有名なお粥の店もこの通りにあるようです。大きな門もあり、近くには模範街と呼ばれる、90年ほど前に当時の商工会が計画してつくったレンガ造りの通りも有ります。模範街ではいろいろなものが売られていました。
模範街


もう少し続きます。多分次回で最後になるかと。

2011年8月26日金曜日

2011年8月26日 日本語:そうだ 雲南大学、いこう。

 なんだかんだで中国雅虎博客(中国ヤフーブログ)にブログ投稿を始めてから300件になりました。一番最初に投稿したのが 2007年5月14日 初次、写完了。 (リンク先はBloggerに転載したもの) で、それからもう4年以上経っているのかと思うとちょっと感慨深いというか、飽きっぽい割によくここまで続いたもんだ、とおもいます。

中国語の勉強は中二の秋にNHKのテレビ講座を見始めたのが最初でした。それ以前にも中学生向けの国際交流講座やなんやかんやで中国語に触れる機会はあったのですが、本格的、定期的に勉強したのはこれが初めてでした。中二の秋なので、それからもう7年近くが経っているのか…その割には中国語しゃべれてないなw

中国語を勉強している、というと、多くの人に「ビジネス関係」で勉強していると思われるんですが、きっかけからしてほとんどそういうことが関係ないんです。もともとブータンに興味があって、それからチベットに興味が広がり、その関連で中国語を…といった感じで。だから、「今は中国は景気いいから中国語があるといいよね」とか言われると、個人的な理由と違うのでなんだかなぁ、と思ってしまいます。他の人はどんな理由でやろうが勝手ですが、自分はあまりそういうつもりはなかったわけで。

とは言え、7年にもわたって中国語を勉強し続けているとも思わなかったし、高校の時に上海外大に短期留学するとも思わなかったし、大学で留学生と交流することも考えなかったし、复旦大学に交換留学しに、しかも一年も行くことになるとは思わなかった。ましてや雲南に留学しにいくとは思わなかった。

今日も一日雲南に行く準備をだらだらしていたわけですが、何とも実感がわかず。これから一年ずっとあっちにいると言うのに。全く行ったことのない場所に行くので不安がないわけではないんですが、なんとかなるだろう、という気もするし、何より何もわからないのでもうなるようになると考えるほかない…のかな。

この一カ月日本にいて何もしなかったのでもとからごちゃごちゃな中国語が劣化してしまってちょっと危ない…w さっきも大学に電話して全然しゃべれないことを実感…orz

駄文はこれくらいにしておこうかと。雲南でもアクセスできるのか不明ですが、あちらでも出来れば投稿しますので今後ともよろしくお願いします。

2011年8月16日火曜日

2011年8月16日 日本語:事故と関係ない、高速鉄道の話

-改札-

高速鉄道の改札で改札機が故障した。

韓国では思案の末、「信用乗車方式」を採用し、改札機をなくして乗車する人の良心に任せることにした。乗車後に車掌が不正乗車がないか確認する。

一方中国では職員が鋏を入れた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 有名なボールペンジョーク(リンク先はアンサイクロペディア)を改変した感じで作ってみました。

 韓国のKTXは実際この信用乗車方式を使用していて、駅に改札がないので初めて乗った時には非常に戸惑いました。駅の入場料も多分かからないんでしょうね。KTXの座席は結構狭いです。特室(日本で言うグリーン席)なら非常に快適です。

 中国の高速鉄道は世界最高の技術を使ったとか何とか言ってる割に改札機がしょっちゅう壊れてるし、駅のホームじゃなくて構内に入るだけでも身分証確認して手荷物検査して…と面倒だし。そういえば今回の高速鉄道の事故で、中国人ネットユーザーが「中国の鉄道は世界最速の棺桶だ」とか言ってたっけ。

 この前上海-北京間で高鉄に乗りましたが、まぁ結構快適でした。僕が日本人とわかると静かな車内で隣の人が結構大声で話してきたことと、隣の人が置いたコーヒーが途中で乗ってきた人のバックで倒れてかかったのにその人はどっか行っちゃって面倒になったのと、作業服の人が2人ずっと乗車していて「この車両もしかして故障の恐れがあるんだろうか…」と思わせられたことを除けば。

2011年7月31日日曜日

2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三) の続きです


更新長らくお待たせしました。


  金門民俗文化村を出て、チャーターしたタクシーで次の目的地へと向かいました。と言っても前の記事で言った通り運転手のおばさんと相談というかおばさんがほとんど決めてしまってるような状態でしたが。次は太湖といういかにも中国によくありそうな湖の名前のところへ。聞くところによると太湖は人工湖らしく、金門島自体もそれほど大きくないのでそれなりの大きさの湖です。目的地は太湖ですが、この湖を見に来たわけではなく、そこに隣接する記念館を見るためです。


中華民国側のプロパガンダビラ
  名前は「八二三戦史館」。前の記事でも出た、1958年に金門島が砲撃された際の最初の砲撃があった日が8月23日で、中華民国側ではそれを取って「八二三砲戦」と呼んでいるようです(中華人民共和国側での呼称は「金門砲戦」)。記念館の周辺には戦車やら飛行機やらが置いてあります。そういえば靖国神社のところもこんな感じでした。戦史館は入場無料で(後述する予定ですが、金門島の記念館は全て入場無料でした)、それほど大きくはないですが展示品は適度にまとまっていて見やすかったです。時代背景の説明から入り、実際に戦場となった金門の変化、砲弾や双方のプロパガンダの展示等がありました。プロパガンダの展示なんかは個人的には面白かったです。どちらも自分の国の生活が素晴らしいことを実際にどうかは別として見せつけるわけで、それはつまり、相手の側が見ている「素晴らしい生活」が何かを探りながらそれを表わしているということは非常に興味深いなと思いました。対面には兪大維先生紀念館という軍人の記念館があり、そのひとの受章歴やなんやかんやいろいろ展示してありました。


明魯王墓
 その後、車に乗りこみ、魯王の墓というところで降ろされました。明朝の時代の魯王ということらしいですが、自分が知識ない上に、特に説明もないので実際どういうことをした人なのかもよくわかりませんでしたが、お墓の形がドーム型になっていて、亀甲墓とはまた少し違うものの、文化の流れとしては近いものがあるのかな、と感じました。



まだ続きます。

2011年7月16日土曜日

2011年7月16日 日本語:「今年の7月は823年ぶりに金土日が5回ある」というネタにマジレス

 どうも御無沙汰しています。本当は福建省の旅行記事を書き終わらせるのが先なんでしょうが、ちょっと気になったことがあったので、こちらを優先しました。

Twitterをやり始めて一年以上たつのですが、次のようなツイートを目にする機会が結構多いです。


今年の7月は5つの金曜日と土曜日と日曜日があります。このような月は何と823年ごとに一度しかないとのこと。生きている間でも滅多に経験が出来ない奇跡の月です。中国の風水では、この事実を他人に伝えるとお金が自分に入ると言われています。期待してしまう。less than a minute ago via web Favorite Retweet Reply
http://twitter.com/#!/masaskjm/status/91071318891560961 より引用

書いている通りに解釈すると、「一月に5回金曜日、土曜日、日曜日がある月は823年に一度」ということですよね(もし解釈が間違っているのであればお教えください)。それが事実なら確かに生きているうちに経験できるのは非常に幸運かもしれません。事実なら。中国の風水は歴史が有るでしょうしそんなものを疑うなんて罰あたりですよね。まぁそれでも調べてみたくなったので調べます。

暦の月には31日ある大の月と30日しかない(2月は28日か29日)小の月があります。31日間有る月は1日、8日、15日、22日、29日が同じ曜日になります。同じように、2日、9日、16日、23日、30日も同じ曜日(先ほどの次の曜日)ですし、3日、10日、17日、24日、31日も同じ曜日(そのまた次の曜日)です。ということは、
(I)大の月 
で且つ 
(II)金曜日から始まる(1日が金曜日の)月 
の条件を満たすものが「一カ月に金土日が五回ある」ということになります。

とりあえずカレンダーを見てみましょう。いちいち金土日が5つ有るか確認しなくても、1日が金曜である1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月の暦を見るだけなので、googleカレンダーでも何でも暦を見ればすぐにわかります。ここでは2011年7月の前後各五年ほどを見てみます。

【表1】2006年-2015年の大の月の月初めの曜日
   1月2月 3月 4月  5月 6月 7月   8月 9月  10月 11月 12月 
2006年日曜水曜 月曜土曜火曜日曜金曜
2007年月曜木曜 火曜日曜水曜月曜土曜
2008年火曜土曜 木曜火曜金曜水曜月曜
2009年木曜日曜 金曜水曜土曜木曜火曜
2010年金曜月曜 土曜木曜日曜金曜水曜
2011年土曜火曜 日曜金曜月曜土曜木曜
2012年日曜木曜 火曜日曜水曜月曜土曜
2013年火曜水曜 金曜月曜木曜火曜日曜
2014年水曜土曜 木曜火曜金曜水曜月曜
2015年木曜日曜 金曜水曜土曜木曜火曜
あの日は何曜日? 万年カレンダー より作成 小の月は「小」と表示、大の月は月初めの曜日を表示。金曜日から始まる(=今回の言い伝えと同じ)のはマーカーで色を付けました。 ※「暇人乙」とか言うなよ!絶対言うなよ!(ダチョウ倶楽部的なノリで)

 【表1】によると、前回は2010年10月、次回は2013年5月です。ちなみに、「『7月に』金土日が5回ある」のは前回が2005年7月、次回が2016年7月です。823年も待たなくても、夭折したり、その月だけタイムスリップしたりしなければ大概の人は経験できます。

 「この事実を他の人に伝えるとお金が自分に入る」らしいんですけど、そもそも事実じゃないので残念ながらこつこつ働いてお金貯めるとかそういう方法とったほうがよさそうです。中国の風水が(823年前から)七曜に準拠しているところがあるのかどうか、というのもちょっと気になるんですが、カレンダー見て疲れたので今回はそこを調べるのはやめておきます。

 巷では「Twitterは馬鹿発見器」と言われているようですが、こんな風にネタとわかりきっている、ちょっと調べればネタとわかることに時間かけてマジレスしてしまう馬鹿な僕がいるのでまぁそれは確かなんでしょうね。あれですよね、Twitterのリツイート機能が楽しくて、みんなチェーンメールの時代を懐かしんでこういうのやってるんですよね。僕は高校卒業するまで携帯持ってなかったんでチェーンメール回すのが楽しいのかどうか知らないんですよねー

お後がよろしいようで。

2011年6月28日火曜日

2011年6月28日 Esperanto: La vojagxolibro de "Dua" Fujian. Amoj kaj Kinmen. Volumo 2

 Cxi tio artikulo estas esperantigo de 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二)  en la japana. Kaj Cxi artikulo havas antauxan artikulon: 2011年6月11日 Esperanto: La vojagxolibro de "Dua" Fujian. Amoj kaj Kinmen. Volumo 1 .


Longtou-lu
   En mateno la 6-a de la dua tago mi vekigxis. Onidire la shipo el Kinmen insulo ekos frue de la 8-a, do mi intencas ensxipi tion. Sed gustejisto ne jam vekigxs, do mi atendis gxis la 7-a.


   Lastanokte en Longtou-lu, la Centro de Koronsu insulo havis multaj homoj sed matene havas malmulte. Mezolernejaj lernantoj iris havinte ombrelon helan. Enshipeje mi pagis 8 yuan kaj ensxipi. Estas frue matene sed multaj homoj atendis shipon.

  Reveninte al Amoy, mi sercxis Internacian Havenon. Amoy havas multajn havenojn, do mi errare iris al diferencan havenon. Tie havene estas la haveno por sxipo de cxirkaux kinmen. Mia intenco ne estas vidado kinmen, sed alterigxado. Mi demandis al kioskisto kaj iros al intercia haveno.


La Sxipo al Kinmen
 Internacia haveno estas pli granda ol kiel mi pensis. Mi acxetis bileton da 160 yuan. Multo de ensxipanto estas Taiwanujo, mi pensas. Sxipo estas granda, sed malgranda kiel la sxipo de ligado Taiwan kaj Cxinujo.



  (Artikulo daura estas.)

2011年6月25日土曜日

2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) の続きです。

  外は雨が降っていたものの、余り揺れはなく無事に金門島に到着しました。中華人民共和国と中華民国をまたぐので当然ながらアモイで出国手続き、金門に到着後は入国手続きが有ります。金門島側の水頭フェリーターミナルはあまり大きくなく、長崎港のフェリーターミナルと比べても小さいほうです。ここからはアモイの2つの港と、泉州に行く船が出ているようです。フェリーターミナルの出口では「大陸-台湾間の貿易手続きを代行します」みたいなことが書かれてある名刺を配っている人がいました。小三通から(大)三通に変わった今でも、ここは大陸-台湾間貿易の重要な場所なのかもしれません。どうやら金門島は島民向けに無線LANを開放しているようです。住民の登録コードが必要なようで、他の人は使用できないようでした。その代わりにフェリーターミナルでは別のWi-Fiが飛んでいました。

  いつまでもフェリーターミナルにいるわけにもいかないので外に出てタクシーをチャーターしました。聴くところによるとバスは本数が少なく非常に利用しにくいとのことで、その上流しのタクシーもあまりないようだったのでこの方法が一番便利かもしれません。運転手に訊くところによると、チャーター1時間いくらと相場が有るとのこと。最終的には負けてもらいましたが。また、あのフェリーターミナルからは大体の客が空港へ行くのでそれにも相場が決まっているようです。

  今回金門島を旅行して得た金門島のイメージは軍事基地・華僑・農村、こんな感じです。金門島は一応少しは下調べしていましたが、優柔不断なのでコースを運転手と相談しながら行くことにしました。
馬山「還我河山」

  まずは馬山。金門島の北西端にある非常に小さな岬のようなところなのですが、ここに基地が有り、1958年に金門島が砲撃された際に要となった場所とのことで、ここのトーチカからは大陸が見えます。また、緊張が緩和する以前はここにあるラジオステーションから大陸へ向けてプロパガンダ放送がなされていたそうです。「還我河山(我々に河山[=大陸]を返せ!)」という字が迷彩色の壁の中で目立っています。馬山は入口で道が二つに分かれており、右に曲がると見学用のトーチカなのですが、左に曲がってしまうと銃を持った軍人が見張りに立っている本当の基地につながるようなので注意が必要です。逆にいえば見張りがいるので間違って侵入することはないです。

金門民俗文化村
  次は金門民俗文化村へ。ここは山后民俗文化村とも呼ばれるようで、金門島の歴史的な集落を改修して展示してあります。実際に人が住んでいて、それでいて観光地によくある「この時代の生活をやらせてますよ」感はなく、のんびりした生活感を味わうことが出来ました。この村出身の華僑は神戸にも行ったらしく、神戸での事業の史料等が展示されていました。少しおなかがすいたので海蚵煎(おあつぇん、牡蠣入りオムレツ)を食べました。ここには民宿もあるようです。

続きます。

2011年6月15日水曜日

2011年6月15日 Bahasa Indonesia: Museum Kultur di Universitas Fudan

Museum kultir di Universitas Fudan

Pisau
 Lima hari yang lalu, hari Jumat, saya ke Museum kultur di Universitas Fudan. Museum sedikit ada di Universitas Fudan.

 Saya melihat Pedang dan Bansa yang Taiwan. Museum ini memanggil Taiwan "The Republic of China (Republik Cina)". Musium ini gratis merihat tetapi tidak besar.

2011年6月11日土曜日

2011年6月11日 Esperanto: La vojagxolibro de "Dua" Fujian. Amoj kaj Kinmen. Volumo 1

  Cxi tio artikulo estas esperantigo de 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) en la japana.

  Mi vojagxis en Amoj kaj Kinmen de majo 31-a vespero gxis juno 1-a nokte. Cxi vojagxo okazis en ordinala tago kial mi ne havas klason en merkredo kaj acxetis biletojn aeroplanajn malmultakoste. Mi acxetis biletojn, Pudong-Amoj kaj Amoj-Hongqiao. Mi antauxe acxetis bileton de Chunqiu aeroplano sed ili cxesis la flugxadon. Cxi tiam mi revenis al Sxanhajo senprobleme.

Amoj (Xiamen)
  Mi mangxis rizovermicxelon en mangxejo de Pudong flughaveno antaux mi enplanigxis. En flughavena mangxejo mangxas multekoste... Multaj pasagxeroj estas en la aeroplano. Mi auxdis La Cxinan, La sxanhajan kaj alian lingvon. Mi pensas, ke tio estas La Minnan-a. Mi endormis malmulte.

  Venis mi al Amoj flughaveno. Pudong flughaveno, kion mi vidas ordinare, estas tre granda, do mi pensas Amoj flughaveno estas negranda. Mi enauxtobusigxis al ponto de cxi tie. La ponto estas malgranda. Gxi estas nur por Kolongsu. Kiam oni enshipigxas al Kolongsu, oni ne devas acxeti bileton. Reveno de Kolongsu oni devas acxeti irorevenan bileton. Se vi enshipigxi en superetagxo, vi devas pagi 1 yuan. Shipo estas malgranda sed havas belan noktopejzagxon.

Kolongsu
  Kolongsu, malgranda insulo, estas movoplena. Kolongsu havas histriajn konstruajojn. Mi iras al junulargestejo sentelefone, la gestejo ne havas liton neokupitan. Gestejisto telefonis al aliaj gestejo, do mi povis enlitigxi. Verdire junulargestoj ne povas abonon rete. Telefonaabondo devas abonpagi.

  La gestejo, kio mi enlitigxis, ne estas en centra kvartalo sed ne estas maloportuna. Mi cxirlauxiris en  kvartalo mangxe marmangxajojn.

   (Artikulo daura estas.)

2011年6月10日金曜日

2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) の続きです。


 二日目の朝、6時になる前に起床しました。金門島へいくフェリーが8時半出航、その一時間前より手続き開始ということを聞いていたのでできるだけ早くフェリー乗り場に行こうと考えていたからです。しかしながら、ユースホステルのフロントに人がいない!と、よくよく見るとフロントの奥に寝ている人が…わざわざ起こすのは、と申し訳なく感じ、ロビーでネットに接続しつつ7時になるまで待ってからチェックアウトしました。
 

朝の龍頭路
 昨夜は騒がしかったコロンス島の中央通り、龍頭路もさすがに朝7時だと閑散としていました。中高生が通学する時間でもあるようで、虹色の傘をさした学生が坂を登っていっていました。虹色の傘は前日も何度か見かけたので、もしかするとここの名物なのかもしれません。フェリー乗り場で往復分の8元を払い、乗船。朝早いにもかかわらず両岸共に多くの人が船を待っていました。


 アモイ本島側に上陸後、金門島へのフェリー乗り場探しが始まりました。前日に調べたときに、ユースホステルの方に教わったところへ向かうと、そこは金門島へ行くフェリーではなく、金門島との以前(今も?)の軍事境界線辺りを周遊する遊覧船乗り場でした。自分は金門島を眺めるのではなく上陸したかったので、近くの売店に人に訊きフェリー乗り場を教えてもらいました。


金門島行フェリー
 フェリー乗り場は結構大きく、綺麗でした。チケット売り場で金門島水頭港行きのチケット(記憶が正しければ160元)を購入し、売店でカステラなんかを買って、フェリーに乗船しました。フェリーの乗客は大半が中華民国民のようでした。フェリーは片道1時間で運行しているのとしてはそれなりの大きさですが、小三通の時に大陸と台湾を結ぶ交通手段はこれだけだった(もしかしたら航空便もあったかもしれないですが)のかと思うと、かなり小さいなと感じました。


続きます。









2011年6月5日日曜日

2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一)

  今回、5月31日の夕方から6月1日の夜にかけて一泊2日でアモイ(廈門)と金門島を旅行してきました。なぜ平日にこんなスケジュールで行ったのかというと、水曜日は授業がなかったことと、ちょうど春秋航空の格安チケットが手に入ったからです。行きは浦東発、帰りは虹橋着という格安便らしいチケット構成で、4月下旬に茨城-上海便を予約した時は前日にフライトキャンセルを知らされるという事態になりましたが、幸い今回はそういうこともなく無事に上海に戻ってくることが出来ました。

アモイ
  浦東を17時発で、春秋航空は当然ながら機内食が出るわけではないので、浦東にいるうちに少しおなかを満たそうと思って空港内のハラルレストランでビーフンを食べましたが、やっぱり高い。値段の割に量が…春秋航空は予定通り離陸、満席でした。何処からともなく普通話でも上海語でもない発音が聞こえる。これが閩南語なのかな、と思いつつひと眠りしました。


  アモイ空港に到着。日本でいう福岡空港ぐらいか。いや、福岡空港よりは大きいかな。なんにせよ普段見ている上海浦東があまりにも大きいので小さく感じてしまいます。そこから市内の鉄道駅とコロンス島への波止場に向かうシャトルバスで波止場へ移動。波止場は大きくなく、コロンス島への移動のためだけにつくられたような感じ。コロンス島へは行きは運賃を払わず、帰りにコロンス島側の波止場で往復分の8元を支払います。但し、見晴らしの良い2階に上ると別に1元を払わなければなりません。船旅、というよりは普通の渡し船。でも、アモイとコロンス島の両方の夜景が見えるだけで充分乗る価値が有ると思います。

コロンス島
  コロンス島は小さい島の割に賑やかでした。歴史的な建物もあっておしゃれで夜景が本当によく似合う場所。ここで一つ困った事が起こりました。ユースホステルの空きベットがない。コロンス島が観光客が多く人気が有るのは知っていましたが、ネット予約不可で電話予約のみ、さらには先にお金を振り込まないといけないという条件が面倒でなにもせずに行った結果がこれです。普通の部屋は空きがあるようでしたが。幸い、そこのユースホステルの方がもう一軒の街の少し外れのほうにあるユースホステルを紹介してくださったので事なきを得ました。

  街のはずれと言っても30秒も歩けば中心の街に出られるので特に不便ということはなく、寧ろ静かでいい場所でした。チェックインを済ませてから屋台で食べ物を買いつつ街をぶらついて見ました。太鼓焼きみたいなのや魚丸というすり身が入ったスープなど、海のそばということもあって海鮮が多いです。

2011年6月4日土曜日

2011年6月4日 English: The travel to Wuhan.

   It is English Version of 2011年6月4日 汉语普通话:江城旅游记. The Chinese version is the Original one.

   I made a trip to Wuhan, Hubei in last weekend. It is my first time what I went to inland of china. 


   I take Dongchezu, what is rapid train, in Shanghai Hongqiao Train station in 27th night. It take 4 hours to move to Hankou Train station. In the car, we could watch 2 movies. One is of Jackie Cheng, another one is comedy Kungfu. Comedy one had dialect speeches but I could understand they had said because It had subtitle. It takes long time but is not tiring me. We were arrived at Hankou at 10 p.m. Hankou Station was illuminated. I took a taxi and go to hotel near Jiefang park.


Gudesi Temple
  Next morning I went Gudesi temple. This is the newest one of the 4 temples of Wuhan. Temple have western construction. All of Priests Who I saw was nun. I thought there maybe nunnery. After that I went to Jianghan road and met my friend. Jianghan Rd. is vihicle-flee street. We took ferryboat and get over Yangtze river to Wuchang. Large people took ferryboat. I thought it has already been a kind of sightseeing source. We saw Bridge what is on the Yangtze River first, and then went Hubuxiang. Hubuxiang is famous place where a lot of chinese food booths are in.


HuangHeLou (Yellow Crane Tower)



  In 29th, I met another friend at Wuhan University. We walk around in the university and have Hubei food lunch. After that I went to Hubei Province Museum. They had exhibition of Tibetan Culture. After I went out of the museum, I get lost and walked a lot. Arrived at Huanghe lou (Yellow Crane Tower), I went up the tower with deep emotion because I had learned a chinese poem which is concerned with it. I got to know Guangdong friends. They took me to Train station.


  A Internet cafe is near Wuchang train station. I could not go there because they demanded me of ID card of China not Passport. It was not problem. I could use the internet pay with mobile phone in the station. I take train to go back to Shanghai at 9:30 p.m. 



  Many places in Wuhan is under construction, but they have a lot od cultural heritages. Wuhan has worth to go.  

2011年6月4日 汉语普通话:江城旅游记

    我从5月27号到30号之间去武汉玩儿。我以前去过的中国城市都是沿海的,这是第一次去内陆城市的访问记。

古德寺
    27号晚上从虹桥火车站坐动车组去武汉。从上海到武汉至少要坐4个小时。在车厢里有电视广播两场电影,一场是成龙的,另一场是搞笑的功夫片。搞笑的那场是有时候说方言,我听不懂,但看字幕明白。坐4个小时座位,长归长,但没有那么辛苦。

    晚上10点左右达到汉口火车站。汉口站有开灯挺漂亮。听说最近修过的。我坐出租车去酒店,住在解放公园那边。

    28号早上去古德寺参拜。古德寺是武汉四大佛寺庙之一,历史最短的寺庙。寺庙有西洋感觉,为什么不知道,在里面看的人都是女生,可能是尼寺庙。以后去江汉路见朋友。江汉路有很多人,现在是步行街了。坐船渡长江到武昌。渡轮很多人坐,成为一个观光资源。先走河边看大桥,然后去户部巷吃热干面、汤包、烧麦等等多种小吃。

黄鹤楼
 29号去武汉大学见另一个朋友,我们一起去逛校园吃午饭。以后我一个人去湖北省博物馆,是免费参观的。排队很少,随便看看。那时候有关于西藏的特别展示,也好看。从博物馆出去而走武汉大学旁边,但我迷了路,绕了一大圈儿。回到武汉大学正门坐出租车去黄鹤楼。我在高中学过《黄鹤楼送孟浩然之广陵》,黄鹤楼一直想去的地方。上了黄鹤楼,看得见武汉全景。那里我认识两个广东人,跟她们一起走路说话,她们到我送到武昌火车站。

    武昌火车站旁边有网吧,我想上网但他们要求身份证,护照不可以使用,所以我无法上网。但我发现火车站里面有无线,用手机付款就可用。

    晚上9点半坐火车回上海。车厢里应该都是上海人,听见的词语都有上海口音。

    武汉有很多地方修路,空气比较脏,但有很多历史遗产,好玩儿的。

2011年5月15日日曜日

2011年5月15日 汉语普通话:我推荐的长崎旅游景点(一)

   这次我来介绍长崎市内的几个旅游景点。

   长崎市是在日本九州岛西方的一座城市。人口约有四十万多,可能一般中国人听出来四十万的人口感觉很农村,但日本人来说中程度的城市。

   江户时代,长崎是一座很重要的城市,跟荷兰、清朝贸易的港口。明治时代以后不仅荷兰人和中国人,而且欧美人也来长崎做生意。加之,世界上第二座原子弹爆炸的城市。

   长崎的很多建筑跟历史有关。这次我介绍四个旅游景点。今天介绍的景点都在南山手地区。

   首先,我推荐大浦天主堂。长崎有很多天主教徒。江户时代之前,很多人信天主教。但江户幕府禁止了信天主教,所以有些人放弃信教,其他有些人秘密地信天主教。明治时代以后许可信教的自由。法国人来长崎做一个天主堂,这是大浦天主堂。这座天主堂朝“26圣人殉教之地”西坂建立。

   天主堂旁边有哥拉巴园。哥拉巴园是一所公园,公园里有很多有历史的建筑。哥拉巴是一个英国人的名字,他明治时代来长崎做贸易生意。我们看到他的房子和庭园、还有其他那时候建筑。公园在长崎市南部的斜坡上,对面看到三菱造船所工厂和稻佐山。

   下坡后,你可能发现一个有中国感觉的大楼。这是“四海楼”,一个很有名的中国菜馆。长崎有好多唐人,唐人街也有(但是不太大)。四海楼的创始者发明ちゃんぽん(Champon)。这是一种面条之类,有很多海鲜,营养丰富的菜。

   四海楼后面也有一座大楼叫为旧香港上海银行长崎支行纪念馆。我觉得在长崎最西洋的感觉在这座建筑。上海外滩那边的建筑一样,石大厦面对海岸。现在填拓海岸,离海岸远了一点。晚上外面开灯,有很浪漫的感觉。

2011年5月7日土曜日

2011年5月7日 Esperanto: Kiel homoj regardas la "fino"-n (La Revuo de "Der Untergang").

  Hodiaux mi vidis la kinon, kion nomas "Der Undergung". GXi estas histrio pri Hitlero kaj liaj cxirkauxuloj en 1945. Mi antauxe auxdis gxian nomon, sed ne havis okazon por vidi. Mi hazarde trovis gxin, do gxin vidis.

  "Der Undergung" signifas "La pereo" germane. En la finatempo de la milito, Hitlero kaj liaj cxilkauxuloj, Kion ili pensis kaj faris? Gxi estas skizita serioze.

  Mi vidis la subtekston cxinan. Nomo de la japana kaj cxina estas "La Finotempo 12tago de Hitlero". La nomo estas vere, de komenco de la kino malhelema senco dauxras. La kino, mi pensas, kio volas komuniki ne estas "mizera milito". Gxi pensigis min, kio morto estas. Vivado honte aux morto honore, cxi tempe cxiu devis preferi kiu. Preferebluloj estis pli fericxa eble, multaj homoj ne rajtis. Malforta urbano ne rajtis. Kaj, eble, ankaux Hitlero estis la homo "malforta", mi pensas. Plie mi pensas, ke homo mortas facile ecx se oni regardus vivaon serioze.

   Estas ne surfaco sed interno de milito, Tio la kino komunikas. GXi estas vidinda

2011年4月30日土曜日

2011年4月30日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(三)

※この記事は2010年12月6日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(一)
及び2010年12月22日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(二)の続きです。


 このテーマでの前回の更新から長く時間が空いてしまった。流れからは外れるが、今回は原発問題と平和教育の関係性について考えてみる。


 今回の震災は少なくともただ電力を購入しているだけだった多くの人にとって幾らかでも発電方法について考える機会を作った。それによって原発を廃止するか、現状維持か、推進するか、火力発電所を増設するか、しないか、自然エネルギーをどうするか、ということなどを活発に議論していくことが必要だ。


 今回の原発事故以降、ニュースで見慣れない単位が出ることも多かった。中国語翻訳のボランティアをやっていたが、辞書にも載っていない単位もあり、Web上で用例を確かめたりしつつ訳していた。そして、「このまま翻訳したところで、この拙訳を読んで中国語話者のどれくらいが理解できるんだろうか」とも思った。訳そのもののレベルが低い事も気にかかるが、「マイクロシーベルト毎時」とかその他もろもろの単位は素人目に見てその増減を確認する程度にしか利用できない。


 管首相本人が「20年以上住めない」と言ったかどうかはともかくとして、ネット上では、自分が確認した限りにおいて、被曝に対する反応はかなり大きかったと思う。「日本は唯一の被爆国」という意識がその反応を増大させたのではないかと思う。但し、話はそれるが、僕自身はこの「唯一の被爆国」という考えには賛同できない。核実験の実験場になった地域を軽視しているように感じられるからだ。


 本題の原発問題と平和教育に関してだが、原発事故以降出てくる数値を長崎の人でも理解しがたいことは、平和教育の中心が小中学校におかれていることにあるのではないかと思う。僕の記憶では、長崎の原爆資料館にも広島の原爆資料館にも「どの程度被曝すると身体にどのように影響が出るか」という展示はあった。しかしながら、小中学校で平和教育がおこなわれる時に放射線量と健康被害の関係を教えることが出来るだろうか?


 僕はそれは難しいと思う。今まで受けた平和教育においても、「原爆はこんなにも恐ろしい」といった目で見て理解することが中心の、感情に働き掛ける教育が中心であったし、小学校ではそのほうが理解できると思う。高校に入ればそのような数値を出してもいいと思うのだけれど、実際そのような事が行われた記憶はない。小学校から高校まで、平和教育の内容が似たりよったりになっている。


 僕は噂に聞いたことが有るだけで、実際にそうなのか確かめていないのだが、第二次世界大戦当時ホロコーストが行われたアウシュビッツでは、当時の体験者が語り部になることはないらしい。「主観的」な情報ではなく「客観的」な知識を重視しているからとのことだった。その事を考えると、長崎での平和教育は非常に主観的な情報を重視している。


 主観的な情報を受け取ることがよくないとは思っていない。ただ、そこから感情的な原子力アレルギーを発生させるよりも、客観的知識を伴った論理的な核廃止を考えることも必要なのではないか。原子力発電所も事故がどのような影響をもたらすか僕を含めた多くの人はわからないままだと思う。このことに対しても感情論ではなく、知識を以て行動に移すべきだ。

2011年3月25日金曜日

2011年3月25日 上海言话:从我个房间窗口勿能看太阳

    大家好。我今朝勿去外头、写文章。我个生活态度勿大认真勒。题目只是我房间在北方个意思。

    从日本带老多书回来,乃还呒没整理伊眼书。大部分书是学语言个。勿仅有汉语个,也有别言话个。我乃觉得西班牙言话好白相。

    最近我认为日语交关难。以前也咋觉得,乃特别觉得。我认为日语有两个难地方。一个是说法蛮多,一人称,文末说法各种各样个。两个是省略方法。搿个用得蛮多,但老难教。

2011年3月5日土曜日

2011年3月5日 Esperanto:Mia Plano en Jarduono de Nun.

     Mi revenis al mia Sxanhaja cxambro en februaro la 24-a. Mi ensxipis en Kobeo kaj iris al Sxanhajo kun du enlitigxo. Vivado en la sxhipo estas tre bona, do mi enkonis multajn geamikojn.

     De marto, mia lernojarduono komencxigis. Mi intencxis iri al ordinala klasoj kio cxinia studento iras, sed mi ne rajtas por dicidi miaj klasoj. La universitato jam dicidis, ke mi devas iri al la klasoj de la cxina.

La kurso de la cxina por alilandaj studentoj en Fudan universitato havas naux nivelon kaj cxiu nivelo havas 2-6klasojn. Fudan universitato havas alilandaj studentoj tre multe! Felicxe, mi rajtas iri al la plej malfacxila kurso. Klasamikoj diras la cxinan tre rapide, mi pensas, ke ankaux sekvi rapido estas malfacila.

      Mi povas lerni nenion sed la cxina en la universitato. Do mi intencas lerni aliajn lingvojn sole. Mi jam acxetis lernolibrojn en Japanio. Skribante enperanton, mi uzas retavortaron multe. Mi deziras, ke mi lernos esperanton kaj povos interparoli ordinare.
 
      Mi volas ankaux vojagxi. Antauxa lernojarduono mi fariris malmulte, mi jarduone vojagxas al urboj multaj. La regiono, kie mi volas la plej multe, estas Junano (Yunnan). Junano havas kelkajn urbojn kaj grandan naturon. Mi intencas sxpari kaj iri tie.

      En Sxanhajo estas malvarma. Varmeta printempo venu!

2011年2月6日日曜日

2011年2月6日 汉语普通话:旅行到家乡“大阪”

  上个学期结束了,我坐船回国。把在轮渡里的事情写在上条记事: 2011年2月4日 English: Shin-Ganjin, A trip From Shanghai to Osaka. 。这次把那个事情省略。
   1月24号,轮渡《新鉴真号》到大阪南港国际码头。下船之前,检疫官吏们调查所有乘客有没有生病。下船后也要通过海关。虽然这些真麻烦,但是因为最近发生口蹄疫,流感等很多问题,没办法。

大阪城天守阁
   从码头离开,我把行李放在国内码头柜子里。我第一次去大阪市内旅游,不太知道在哪里有好玩儿的地方。我先买了地铁一天通用车票,去大阪城。大阪城的天守阁是座代表建筑,但是不太老,现在的是1931年建立的。里面有很多历史展示,了解丰臣氏,德川氏跟大阪的关系。

  我对经济机构感兴趣,到大阪证券取引所(证券交易所,以后写“大证”)去看看。我去年在东京看东京证券取引所,所以我很期待代表日本西部的取引所。但在大证为游客的展示很少。

大阪证券取引所
    然后去“通天阁”,它是座大塔。设计者是跟东京电视塔的设计者一样的人,在大阪很有名。它附近有市场,但没我想象热闹。

    从塔上下来后,我去一家咖啡店。为什么我去咖啡店,因为我西班牙语老师推荐那家。我家乡,大学都离大阪很远,我没有机会去。店名称为《Café Las Palmas》(官方网站,日语)。我也推荐这家咖啡店。咖啡味道很不错,蛋糕也很好吃。老板说,这家咖啡店用意大利的泡咖啡的机器。店里感觉还可以,装饰很漂亮。我跟老板聊天了很多。

   虽然泡在咖啡店很有意思,但我要回码头坐船。我差点儿错过到九州岛别府的轮渡。十分钟前到了码头,可以买到船票。

   从后的事情下次写记事。