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2011年2月4日金曜日

2011年2月4日 English: Shin-Ganjin, A trip From Shanghai to Osaka.

Pudong, Shanghai.

January 23, I took a ferry to back to my country. The ferry is named “Shin-Ganjin”. Ganjin is a name of Chinese monk who went to Japan to teach Buddhism about 1000 years ago. Shin has a meaning of “New” in Japanese.

  Shin-Ganjin ties between Shanghai and Osaka with about 50 hours. Root to Osaka goes in The Seto Inland Sea, but it to Shanghai goes southern Kyushu Island.

Shin-ganjin
  As far as I saw, most of grouped passengers to Osaka were chinese trainees who train about agriculuture et cetra in Japan. They were playing cards, sing in Karaoke and so on. Anyway they were so bustling, so I regretted that I didn’t have earplugs.


  The reason why I take this ferry is that the fare is cheaper than that of airline. We can buy a round trip ticket with a half cost of airplane. In addition, the ticket I bought is discounted 10% because I am a student. However Nagasaki, my hometown, is far from Osaka, so I have to pay fare to move between Osaka and Nagasaki.

2011年1月17日月曜日

2011年1月17日 Esperanto: Pasumado en Shanghai.

Dekstra: La konsulejo Rusia.
Fundo: La Dongfang Mingzhu Turo
 Hieraux, januaro 16-a, mi iris al centro de Shanghai por acxeti biletojn de pramsxipo.

 Oni povas acxeti biltojn en Shanghai Dasha. Dasha signifas "domego"-n. Do mi pensis tie estas la domego ordinara de negoco. Sed, vere, tie estas la hotelo alta.

 Post mi acxetis biltojn en la hotelo, mi pasumis cxirkaux tie. Tie estas la vojo de bei-suzhou (nordo-suzhou). Tie estis usona koncesia distrikto. Sude eksistas la rivero de Suzhou. Suda ol la revero de Suzhou havas Waitan. Waitan namas "The Bund" en la Angla. Waitan havas multajn modernajn konsturajxojn.

La Shanghai Posxta Muzeo
 Mi visitis La Shanghai-an Posxtan muzeon. Tio estas en la vojo de Bei-suzhou. La muzeon estas en granda domego. La domego estas postoficejo, konsturajxojn malnova.

 En la muzeo, multaj rilatajxoj estas ekspoziciata. En eksposicio de Historio Cxina de posxto, oni vidas      letero malnova ligna. "Komunismo kaj posxto" estas tre Cxineca, mi pensas.

2011年1月13日木曜日

2011年1月13日 日本語:休暇の計画とか何とか。

 皆さん明けましておめでとうございます。僕は今日から20歳です。と言ってもそんなに実感がわかないですね。特に何があるって言うわけでもないんで、普段通りの一日を過ごしました。これからもよろしくお願いします。

現在の留学生のクラスでは来週テストがあり、すぐに長期休暇に入ります。旅行という事も考えたのですが、休みの期間が一カ月ほどあることと、年末に広東辺りを回ったのもあって、今回は一度帰国する事にしました。広東の話はまた遠くならないうちに記事にするつもりです。万博もおんなじこと言ってた気もしますが多分気のせいです。

まだ詳しい計画は決めていないのですが、訪問する予定の都市は大体決定しています。上海、北京、天津、青島、下関、大分、別府、福岡、柳川、長崎は行く予定です。青島-下関間のフェリーは予約を入れました。15:30チェックイン、20:00出港、翌々日9:30下船ということで、なかなか長い船旅です。予約した後に冬だから海荒れてるんじゃないかということに気づいてしまったのは秘密です。

青島-下関間以外にも、日中間の国際航路として上海-大阪間(新鑑真号)や天津-神戸間(燕京号)等があります。今回この青島-下関間のオリエントフェリーにしたのは、搭乗時間が比較的短く、到着地も実家に近く、学生を料金だと1000元を切るほど安かったからです。

飛行機で帰れば上海-福岡便も上海-長崎便も有るにはあるのですが、どうしても高いし、かと言って春秋航空に乗れば安いんですが、茨城から九州まで移動する事を考えるとあまり変わらないような気もするので今回はやめることにしました。

そんなわけで、旧正月(春節)は長崎で過ごすことになりそうです。聴くところによると上海は外地人がみんな帰省するのでそんなに賑やかじゃないとか。長崎のほうがランタンフェスティバルとかがあるだけ賑やかかもしれません。

ところで、長崎-上海間にカジノ船を就航する予定があるそうです。
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ハウステンボス、長崎~上海でカジノ船運航へ 公海上で営業 産経新聞 1月7日(金)19時13分配信 
http://bit.ly/icQA1h
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これが就航するとかなり安く実家に帰る事が出来るので是非就航してほしいです。大正時代にも長崎-上海間には客船が就航していたらしいです。当時は両都市ともに「アジアの国際都市」として存在感があっただろうし、いろんな人が乗っていたのかな、なんて考えると楽しいですね。

ではまた。

2010年12月31日金曜日

2010年12月31日 日本語:2010年、今年の総括。

 みなさんお久しぶりです。今日の昼、広東旅行から帰ってきました。なかなかいい旅が出来たと思っています。

「しないよりはまし」という水準での大掃除、というより片づけもひと段落したので、ここらで今年の総括を書いてみようかな、と。

まず思うのは、今年は「入力」よりも「出力」が多い年だった、という事。勿論留学前の九大での授業も复旦での留学生活も不真面目ながらそれなりにやりましたが、読書数が目に見えてかなり減った気がします。高校のころはほぼ毎日図書室に入り浸っていたので毎日何かしら読んでいたのですが、大学入学以降は図書館へ行く機会も少なくなってしまって結果読書冊数も激減してしまいました。留学以降はこちらに持ってきた本もかなり少なくなったのでますます減ったように思います。

一方、「出力」はTwitterを使い始めた事もあってかなり多くなりました。Twitterは双方向の媒体ではあるけれども、やはり出力中心であると思います。自分の考えだったり、ふと思いついたことだったり、いろんな事を投稿しました。このブログも今年は週一回のペースで更新しました。日本語以外の言語での記事も時たま書き、その言語の話者に見てもらって添削をしてもらうなど、自分なりの使い方で楽しめたと思います。

言語というのはやはり入力も大事だけれど出力によって鍛えられると思います。とはいえ、自分が学んでいる言語の話者と話す機会を容易に得られるか、というとなかなかそうでもないのが実情で、この点に関してはインターネットはかなり優位に立つ道具だと思います。

ただ、出力ばかりというのもできないもので、その前に入力していかないといけません。今年はその入力をあまり出来なかったので、来年はもっと入力していって自分の中で噛み砕いて理解していきたいです。知識が0であるところを減らしていく、といったほうが自分の考えに近いです。とりあえず空白になっている部分を埋めていく。何かピースがあればそこからまた新しい情報を手に入れる事もできますから。

今年を二分するならやはり「留学前」と「留学後」になるでしょう。といいつつも、自分の中では住んでいるところが福岡から上海に変わっただけというような気もしています。環境の変化は大きいけれども、自分の中ではなんとなくそれを吸収してしまっているのかもしれません。また、期せずして福岡でも上海でも一人暮らしということになったのが環境の変化を感じにくくしているのかもしれません。

そういえば今年は物をなくしたり壊したりすられたりというのが多い年でした。来年はもっとものを大事に扱っていきます。お金は大事ですからね。

来年は、決めないといけない事が山のようにあります。そのまま帰国すれば3年次の後期、ということで卒論や卒業後の進路も視野に入れないといけないです。 

今年の総括はざっとこんな感じです。どうにかこうにか無事に一年を過ごす事が出来ました。来年もまたいい年になればいいな、と思います。

2010年12月22日水曜日

2010年12月22日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(二)

※この記事は2010年12月6日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(一)の続きです。
 
 前回は平和教育についての雑感を書いた。今回は平和運動に焦点を当ててみようと思う。前回も書いたとおり、建設的な意見を出せないでいることは了承していただきたい。
 
 「平和運動」と言えば、デモ行進や署名運動などの如何にも「行動」という感じのものもあれば、会議や集会など意見の集約、交換に重点を置いたものもある。長崎にいる間、僕も何度か平和運動に参加してきた。「原爆犠牲者慰霊・世界平和祈念市民大行進(以下、市民大行進)」というデモ行進や「高校生一万人署名運動」、「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ(以下、地球市民集会)」等に参加した。高校生一万人署名運動参加者のために断っておくと、僕は高校3年の時期に少し参加しただけなので、詳しく知っているわけではない。ところどころに誤って認識しているところがあるかもしれない。


  上記の活動に関連するリンクを張っておいたので、知らない方は先に読まれてください。
  

     長崎市|平和原爆平和への取り組み|市民大行進



  高校生一万人署名運動
  

     第4回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ




 これら平和運動の持つ問題点をこれから考えていこうと思う。


 まず第一に、「認知度」について。先ほど述べた3つの運動のうち「市民大行進」と「地球市民集会」は長崎市が主催またはその一部となっている運動である。しかしながら、長崎市民のどのくらいの人間がこの運動を知っているだろうか。ましてや日本国民から見たこれらの運動の認知度はかなり低いと思う。
 以前の記憶でいえば、地球市民集会は本格的な討論が行われているようだ。地球市民集会は一般の人も参加できる部分があるが、比較的詳しい人、例えば学者やNGO活動家などが参加しているような集会なので単なる認知度とは切り離して考えていいかもしれない。
 市民大行進についてはどうか。示威活動というのは大概にして他に認知されなければ意味をなさないものだ。それなのに実際の認知度というのは、少なくとも僕の印象では低い。平和に関心がある人であっても、市の広報紙を見逃せば実際いつあるのかわかりにくいし、開催後も市広報、地元紙または全国紙の地元面を見なければ活動もよくわからないのではないかと思う。
 高校生一万人署名についても同じような事が言える。高校生一万人署名は少なくとも長崎県内のメディアは動向について細かく報道しているように感じる。しかしながらそれであっても長崎市内でさえこの活動を知らない人がいる。僕は小学中学の時点でもうこの活動が始まっていて、夕方にテレビでニュースを見れば時々取り上げられているし、活動の是非は別としても、長崎市民なら大体知っていると思っていた。しかし、僕が高校になって活動に参加していたころ、近所の人と話していると、その方がこの活動の事を知らないということがわかり、大変な衝撃を受けた。
 その運動の是非を肯定するにしても否定するにしても、まずは認知度がなければ始まらない。その事を無視して内輪だけで活動するのはただの自己満足ではないか。


 今回も長くなってしまったのでここでいったん切ります。次回更新の日程は決めていませんが、おそらく年を越すと思います。皆さんよいお年を。