Translate

2011年9月19日月曜日

2011年9月19日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(五)

  ※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三) 2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四) の続きです


 更新が遅れすぎてもうなにがなにやら…写真見返しながら出ないと自分でもどんなことしたか忘れかけている…


 明魯王墓を後にして、次の目的地へ。運転手のおばさんがお勧めのところがあると言うので、そこで降りると「喫茶店の博物館」らしい。「特約茶室」…と書いてあるけれども意味がわからない…なぜか女性のシルエットが書かれているし…と思いつつ中に書いてあるのを読んでいくと、どうやら軍人向けの喫茶店だったのか、というのがわかった。もっと読んでいくと、要するに国民党軍が設立・運営する「茶室」という名の慰安施設だったらしい。軍人は安く利用でき、公務員にも割引価格があり、一般もお金を払えば利用できた、とのこと。僕はそういうのは負の歴史として残すだろうと思うんだが、この記念館の雰囲気はどうもそういう感じでもなく、あくまで歴史の1ページに存在していたということを書き残しているだけという風に感じた。記念館には喫茶店(普通の。)が併設されていて、そこで少し休憩。チーズケーキはおいしかった。おすすめ。運転手のおばさんの弟さんが経営されているとのことで、ああ、そういう理由で連れてきたのか、と少し納得。

把意思變爲力量


 またタクシーに乗る。道の途中のロータリーの真ん中には“把意思變爲力量(意思を力に)”と書いてある兵士の像があったり、国共対立の境目にいることを実感させられます。


金門鎮總兵署
 次の地点は金門鎮総兵署。簡単に言うと、昔の役所址に行きました。この総兵署は清の時代につくられたようで、上には会議をしている様子の蝋人形とか昔の武器、金門の歴史についての説明が、地下牢には罪人の蝋人形とか刑罰の道具とかが展示してありました。金門島の歴史には華僑の存在が不可欠なようです。総兵署の門前は店が並んでいました。有名なお粥の店もこの通りにあるようです。大きな門もあり、近くには模範街と呼ばれる、90年ほど前に当時の商工会が計画してつくったレンガ造りの通りも有ります。模範街ではいろいろなものが売られていました。
模範街


もう少し続きます。多分次回で最後になるかと。

2011年8月26日金曜日

2011年8月26日 日本語:そうだ 雲南大学、いこう。

 なんだかんだで中国雅虎博客(中国ヤフーブログ)にブログ投稿を始めてから300件になりました。一番最初に投稿したのが 2007年5月14日 初次、写完了。 (リンク先はBloggerに転載したもの) で、それからもう4年以上経っているのかと思うとちょっと感慨深いというか、飽きっぽい割によくここまで続いたもんだ、とおもいます。

中国語の勉強は中二の秋にNHKのテレビ講座を見始めたのが最初でした。それ以前にも中学生向けの国際交流講座やなんやかんやで中国語に触れる機会はあったのですが、本格的、定期的に勉強したのはこれが初めてでした。中二の秋なので、それからもう7年近くが経っているのか…その割には中国語しゃべれてないなw

中国語を勉強している、というと、多くの人に「ビジネス関係」で勉強していると思われるんですが、きっかけからしてほとんどそういうことが関係ないんです。もともとブータンに興味があって、それからチベットに興味が広がり、その関連で中国語を…といった感じで。だから、「今は中国は景気いいから中国語があるといいよね」とか言われると、個人的な理由と違うのでなんだかなぁ、と思ってしまいます。他の人はどんな理由でやろうが勝手ですが、自分はあまりそういうつもりはなかったわけで。

とは言え、7年にもわたって中国語を勉強し続けているとも思わなかったし、高校の時に上海外大に短期留学するとも思わなかったし、大学で留学生と交流することも考えなかったし、复旦大学に交換留学しに、しかも一年も行くことになるとは思わなかった。ましてや雲南に留学しにいくとは思わなかった。

今日も一日雲南に行く準備をだらだらしていたわけですが、何とも実感がわかず。これから一年ずっとあっちにいると言うのに。全く行ったことのない場所に行くので不安がないわけではないんですが、なんとかなるだろう、という気もするし、何より何もわからないのでもうなるようになると考えるほかない…のかな。

この一カ月日本にいて何もしなかったのでもとからごちゃごちゃな中国語が劣化してしまってちょっと危ない…w さっきも大学に電話して全然しゃべれないことを実感…orz

駄文はこれくらいにしておこうかと。雲南でもアクセスできるのか不明ですが、あちらでも出来れば投稿しますので今後ともよろしくお願いします。

2011年8月16日火曜日

2011年8月16日 日本語:事故と関係ない、高速鉄道の話

-改札-

高速鉄道の改札で改札機が故障した。

韓国では思案の末、「信用乗車方式」を採用し、改札機をなくして乗車する人の良心に任せることにした。乗車後に車掌が不正乗車がないか確認する。

一方中国では職員が鋏を入れた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 有名なボールペンジョーク(リンク先はアンサイクロペディア)を改変した感じで作ってみました。

 韓国のKTXは実際この信用乗車方式を使用していて、駅に改札がないので初めて乗った時には非常に戸惑いました。駅の入場料も多分かからないんでしょうね。KTXの座席は結構狭いです。特室(日本で言うグリーン席)なら非常に快適です。

 中国の高速鉄道は世界最高の技術を使ったとか何とか言ってる割に改札機がしょっちゅう壊れてるし、駅のホームじゃなくて構内に入るだけでも身分証確認して手荷物検査して…と面倒だし。そういえば今回の高速鉄道の事故で、中国人ネットユーザーが「中国の鉄道は世界最速の棺桶だ」とか言ってたっけ。

 この前上海-北京間で高鉄に乗りましたが、まぁ結構快適でした。僕が日本人とわかると静かな車内で隣の人が結構大声で話してきたことと、隣の人が置いたコーヒーが途中で乗ってきた人のバックで倒れてかかったのにその人はどっか行っちゃって面倒になったのと、作業服の人が2人ずっと乗車していて「この車両もしかして故障の恐れがあるんだろうか…」と思わせられたことを除けば。

2011年7月31日日曜日

2011年7月31日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(四)

※この記事は 2011年6月5日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(一) 及び 2011年6月10日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(二) 、2011年6月25日 日本語:「2つ」の福建旅行記-アモイと金門-(三) の続きです


更新長らくお待たせしました。


  金門民俗文化村を出て、チャーターしたタクシーで次の目的地へと向かいました。と言っても前の記事で言った通り運転手のおばさんと相談というかおばさんがほとんど決めてしまってるような状態でしたが。次は太湖といういかにも中国によくありそうな湖の名前のところへ。聞くところによると太湖は人工湖らしく、金門島自体もそれほど大きくないのでそれなりの大きさの湖です。目的地は太湖ですが、この湖を見に来たわけではなく、そこに隣接する記念館を見るためです。


中華民国側のプロパガンダビラ
  名前は「八二三戦史館」。前の記事でも出た、1958年に金門島が砲撃された際の最初の砲撃があった日が8月23日で、中華民国側ではそれを取って「八二三砲戦」と呼んでいるようです(中華人民共和国側での呼称は「金門砲戦」)。記念館の周辺には戦車やら飛行機やらが置いてあります。そういえば靖国神社のところもこんな感じでした。戦史館は入場無料で(後述する予定ですが、金門島の記念館は全て入場無料でした)、それほど大きくはないですが展示品は適度にまとまっていて見やすかったです。時代背景の説明から入り、実際に戦場となった金門の変化、砲弾や双方のプロパガンダの展示等がありました。プロパガンダの展示なんかは個人的には面白かったです。どちらも自分の国の生活が素晴らしいことを実際にどうかは別として見せつけるわけで、それはつまり、相手の側が見ている「素晴らしい生活」が何かを探りながらそれを表わしているということは非常に興味深いなと思いました。対面には兪大維先生紀念館という軍人の記念館があり、そのひとの受章歴やなんやかんやいろいろ展示してありました。


明魯王墓
 その後、車に乗りこみ、魯王の墓というところで降ろされました。明朝の時代の魯王ということらしいですが、自分が知識ない上に、特に説明もないので実際どういうことをした人なのかもよくわかりませんでしたが、お墓の形がドーム型になっていて、亀甲墓とはまた少し違うものの、文化の流れとしては近いものがあるのかな、と感じました。



まだ続きます。

2011年7月16日土曜日

2011年7月16日 日本語:「今年の7月は823年ぶりに金土日が5回ある」というネタにマジレス

 どうも御無沙汰しています。本当は福建省の旅行記事を書き終わらせるのが先なんでしょうが、ちょっと気になったことがあったので、こちらを優先しました。

Twitterをやり始めて一年以上たつのですが、次のようなツイートを目にする機会が結構多いです。


今年の7月は5つの金曜日と土曜日と日曜日があります。このような月は何と823年ごとに一度しかないとのこと。生きている間でも滅多に経験が出来ない奇跡の月です。中国の風水では、この事実を他人に伝えるとお金が自分に入ると言われています。期待してしまう。less than a minute ago via web Favorite Retweet Reply
http://twitter.com/#!/masaskjm/status/91071318891560961 より引用

書いている通りに解釈すると、「一月に5回金曜日、土曜日、日曜日がある月は823年に一度」ということですよね(もし解釈が間違っているのであればお教えください)。それが事実なら確かに生きているうちに経験できるのは非常に幸運かもしれません。事実なら。中国の風水は歴史が有るでしょうしそんなものを疑うなんて罰あたりですよね。まぁそれでも調べてみたくなったので調べます。

暦の月には31日ある大の月と30日しかない(2月は28日か29日)小の月があります。31日間有る月は1日、8日、15日、22日、29日が同じ曜日になります。同じように、2日、9日、16日、23日、30日も同じ曜日(先ほどの次の曜日)ですし、3日、10日、17日、24日、31日も同じ曜日(そのまた次の曜日)です。ということは、
(I)大の月 
で且つ 
(II)金曜日から始まる(1日が金曜日の)月 
の条件を満たすものが「一カ月に金土日が五回ある」ということになります。

とりあえずカレンダーを見てみましょう。いちいち金土日が5つ有るか確認しなくても、1日が金曜である1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月の暦を見るだけなので、googleカレンダーでも何でも暦を見ればすぐにわかります。ここでは2011年7月の前後各五年ほどを見てみます。

【表1】2006年-2015年の大の月の月初めの曜日
   1月2月 3月 4月  5月 6月 7月   8月 9月  10月 11月 12月 
2006年日曜水曜 月曜土曜火曜日曜金曜
2007年月曜木曜 火曜日曜水曜月曜土曜
2008年火曜土曜 木曜火曜金曜水曜月曜
2009年木曜日曜 金曜水曜土曜木曜火曜
2010年金曜月曜 土曜木曜日曜金曜水曜
2011年土曜火曜 日曜金曜月曜土曜木曜
2012年日曜木曜 火曜日曜水曜月曜土曜
2013年火曜水曜 金曜月曜木曜火曜日曜
2014年水曜土曜 木曜火曜金曜水曜月曜
2015年木曜日曜 金曜水曜土曜木曜火曜
あの日は何曜日? 万年カレンダー より作成 小の月は「小」と表示、大の月は月初めの曜日を表示。金曜日から始まる(=今回の言い伝えと同じ)のはマーカーで色を付けました。 ※「暇人乙」とか言うなよ!絶対言うなよ!(ダチョウ倶楽部的なノリで)

 【表1】によると、前回は2010年10月、次回は2013年5月です。ちなみに、「『7月に』金土日が5回ある」のは前回が2005年7月、次回が2016年7月です。823年も待たなくても、夭折したり、その月だけタイムスリップしたりしなければ大概の人は経験できます。

 「この事実を他の人に伝えるとお金が自分に入る」らしいんですけど、そもそも事実じゃないので残念ながらこつこつ働いてお金貯めるとかそういう方法とったほうがよさそうです。中国の風水が(823年前から)七曜に準拠しているところがあるのかどうか、というのもちょっと気になるんですが、カレンダー見て疲れたので今回はそこを調べるのはやめておきます。

 巷では「Twitterは馬鹿発見器」と言われているようですが、こんな風にネタとわかりきっている、ちょっと調べればネタとわかることに時間かけてマジレスしてしまう馬鹿な僕がいるのでまぁそれは確かなんでしょうね。あれですよね、Twitterのリツイート機能が楽しくて、みんなチェーンメールの時代を懐かしんでこういうのやってるんですよね。僕は高校卒業するまで携帯持ってなかったんでチェーンメール回すのが楽しいのかどうか知らないんですよねー

お後がよろしいようで。