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2011年6月4日土曜日

2011年6月4日 English: The travel to Wuhan.

   It is English Version of 2011年6月4日 汉语普通话:江城旅游记. The Chinese version is the Original one.

   I made a trip to Wuhan, Hubei in last weekend. It is my first time what I went to inland of china. 


   I take Dongchezu, what is rapid train, in Shanghai Hongqiao Train station in 27th night. It take 4 hours to move to Hankou Train station. In the car, we could watch 2 movies. One is of Jackie Cheng, another one is comedy Kungfu. Comedy one had dialect speeches but I could understand they had said because It had subtitle. It takes long time but is not tiring me. We were arrived at Hankou at 10 p.m. Hankou Station was illuminated. I took a taxi and go to hotel near Jiefang park.


Gudesi Temple
  Next morning I went Gudesi temple. This is the newest one of the 4 temples of Wuhan. Temple have western construction. All of Priests Who I saw was nun. I thought there maybe nunnery. After that I went to Jianghan road and met my friend. Jianghan Rd. is vihicle-flee street. We took ferryboat and get over Yangtze river to Wuchang. Large people took ferryboat. I thought it has already been a kind of sightseeing source. We saw Bridge what is on the Yangtze River first, and then went Hubuxiang. Hubuxiang is famous place where a lot of chinese food booths are in.


HuangHeLou (Yellow Crane Tower)



  In 29th, I met another friend at Wuhan University. We walk around in the university and have Hubei food lunch. After that I went to Hubei Province Museum. They had exhibition of Tibetan Culture. After I went out of the museum, I get lost and walked a lot. Arrived at Huanghe lou (Yellow Crane Tower), I went up the tower with deep emotion because I had learned a chinese poem which is concerned with it. I got to know Guangdong friends. They took me to Train station.


  A Internet cafe is near Wuchang train station. I could not go there because they demanded me of ID card of China not Passport. It was not problem. I could use the internet pay with mobile phone in the station. I take train to go back to Shanghai at 9:30 p.m. 



  Many places in Wuhan is under construction, but they have a lot od cultural heritages. Wuhan has worth to go.  

2011年6月4日 汉语普通话:江城旅游记

    我从5月27号到30号之间去武汉玩儿。我以前去过的中国城市都是沿海的,这是第一次去内陆城市的访问记。

古德寺
    27号晚上从虹桥火车站坐动车组去武汉。从上海到武汉至少要坐4个小时。在车厢里有电视广播两场电影,一场是成龙的,另一场是搞笑的功夫片。搞笑的那场是有时候说方言,我听不懂,但看字幕明白。坐4个小时座位,长归长,但没有那么辛苦。

    晚上10点左右达到汉口火车站。汉口站有开灯挺漂亮。听说最近修过的。我坐出租车去酒店,住在解放公园那边。

    28号早上去古德寺参拜。古德寺是武汉四大佛寺庙之一,历史最短的寺庙。寺庙有西洋感觉,为什么不知道,在里面看的人都是女生,可能是尼寺庙。以后去江汉路见朋友。江汉路有很多人,现在是步行街了。坐船渡长江到武昌。渡轮很多人坐,成为一个观光资源。先走河边看大桥,然后去户部巷吃热干面、汤包、烧麦等等多种小吃。

黄鹤楼
 29号去武汉大学见另一个朋友,我们一起去逛校园吃午饭。以后我一个人去湖北省博物馆,是免费参观的。排队很少,随便看看。那时候有关于西藏的特别展示,也好看。从博物馆出去而走武汉大学旁边,但我迷了路,绕了一大圈儿。回到武汉大学正门坐出租车去黄鹤楼。我在高中学过《黄鹤楼送孟浩然之广陵》,黄鹤楼一直想去的地方。上了黄鹤楼,看得见武汉全景。那里我认识两个广东人,跟她们一起走路说话,她们到我送到武昌火车站。

    武昌火车站旁边有网吧,我想上网但他们要求身份证,护照不可以使用,所以我无法上网。但我发现火车站里面有无线,用手机付款就可用。

    晚上9点半坐火车回上海。车厢里应该都是上海人,听见的词语都有上海口音。

    武汉有很多地方修路,空气比较脏,但有很多历史遗产,好玩儿的。

2011年5月15日日曜日

2011年5月15日 汉语普通话:我推荐的长崎旅游景点(一)

   这次我来介绍长崎市内的几个旅游景点。

   长崎市是在日本九州岛西方的一座城市。人口约有四十万多,可能一般中国人听出来四十万的人口感觉很农村,但日本人来说中程度的城市。

   江户时代,长崎是一座很重要的城市,跟荷兰、清朝贸易的港口。明治时代以后不仅荷兰人和中国人,而且欧美人也来长崎做生意。加之,世界上第二座原子弹爆炸的城市。

   长崎的很多建筑跟历史有关。这次我介绍四个旅游景点。今天介绍的景点都在南山手地区。

   首先,我推荐大浦天主堂。长崎有很多天主教徒。江户时代之前,很多人信天主教。但江户幕府禁止了信天主教,所以有些人放弃信教,其他有些人秘密地信天主教。明治时代以后许可信教的自由。法国人来长崎做一个天主堂,这是大浦天主堂。这座天主堂朝“26圣人殉教之地”西坂建立。

   天主堂旁边有哥拉巴园。哥拉巴园是一所公园,公园里有很多有历史的建筑。哥拉巴是一个英国人的名字,他明治时代来长崎做贸易生意。我们看到他的房子和庭园、还有其他那时候建筑。公园在长崎市南部的斜坡上,对面看到三菱造船所工厂和稻佐山。

   下坡后,你可能发现一个有中国感觉的大楼。这是“四海楼”,一个很有名的中国菜馆。长崎有好多唐人,唐人街也有(但是不太大)。四海楼的创始者发明ちゃんぽん(Champon)。这是一种面条之类,有很多海鲜,营养丰富的菜。

   四海楼后面也有一座大楼叫为旧香港上海银行长崎支行纪念馆。我觉得在长崎最西洋的感觉在这座建筑。上海外滩那边的建筑一样,石大厦面对海岸。现在填拓海岸,离海岸远了一点。晚上外面开灯,有很浪漫的感觉。

2011年5月7日土曜日

2011年5月7日 Esperanto: Kiel homoj regardas la "fino"-n (La Revuo de "Der Untergang").

  Hodiaux mi vidis la kinon, kion nomas "Der Undergung". GXi estas histrio pri Hitlero kaj liaj cxirkauxuloj en 1945. Mi antauxe auxdis gxian nomon, sed ne havis okazon por vidi. Mi hazarde trovis gxin, do gxin vidis.

  "Der Undergung" signifas "La pereo" germane. En la finatempo de la milito, Hitlero kaj liaj cxilkauxuloj, Kion ili pensis kaj faris? Gxi estas skizita serioze.

  Mi vidis la subtekston cxinan. Nomo de la japana kaj cxina estas "La Finotempo 12tago de Hitlero". La nomo estas vere, de komenco de la kino malhelema senco dauxras. La kino, mi pensas, kio volas komuniki ne estas "mizera milito". Gxi pensigis min, kio morto estas. Vivado honte aux morto honore, cxi tempe cxiu devis preferi kiu. Preferebluloj estis pli fericxa eble, multaj homoj ne rajtis. Malforta urbano ne rajtis. Kaj, eble, ankaux Hitlero estis la homo "malforta", mi pensas. Plie mi pensas, ke homo mortas facile ecx se oni regardus vivaon serioze.

   Estas ne surfaco sed interno de milito, Tio la kino komunikas. GXi estas vidinda

2011年4月30日土曜日

2011年4月30日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(三)

※この記事は2010年12月6日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(一)
及び2010年12月22日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(二)の続きです。


 このテーマでの前回の更新から長く時間が空いてしまった。流れからは外れるが、今回は原発問題と平和教育の関係性について考えてみる。


 今回の震災は少なくともただ電力を購入しているだけだった多くの人にとって幾らかでも発電方法について考える機会を作った。それによって原発を廃止するか、現状維持か、推進するか、火力発電所を増設するか、しないか、自然エネルギーをどうするか、ということなどを活発に議論していくことが必要だ。


 今回の原発事故以降、ニュースで見慣れない単位が出ることも多かった。中国語翻訳のボランティアをやっていたが、辞書にも載っていない単位もあり、Web上で用例を確かめたりしつつ訳していた。そして、「このまま翻訳したところで、この拙訳を読んで中国語話者のどれくらいが理解できるんだろうか」とも思った。訳そのもののレベルが低い事も気にかかるが、「マイクロシーベルト毎時」とかその他もろもろの単位は素人目に見てその増減を確認する程度にしか利用できない。


 管首相本人が「20年以上住めない」と言ったかどうかはともかくとして、ネット上では、自分が確認した限りにおいて、被曝に対する反応はかなり大きかったと思う。「日本は唯一の被爆国」という意識がその反応を増大させたのではないかと思う。但し、話はそれるが、僕自身はこの「唯一の被爆国」という考えには賛同できない。核実験の実験場になった地域を軽視しているように感じられるからだ。


 本題の原発問題と平和教育に関してだが、原発事故以降出てくる数値を長崎の人でも理解しがたいことは、平和教育の中心が小中学校におかれていることにあるのではないかと思う。僕の記憶では、長崎の原爆資料館にも広島の原爆資料館にも「どの程度被曝すると身体にどのように影響が出るか」という展示はあった。しかしながら、小中学校で平和教育がおこなわれる時に放射線量と健康被害の関係を教えることが出来るだろうか?


 僕はそれは難しいと思う。今まで受けた平和教育においても、「原爆はこんなにも恐ろしい」といった目で見て理解することが中心の、感情に働き掛ける教育が中心であったし、小学校ではそのほうが理解できると思う。高校に入ればそのような数値を出してもいいと思うのだけれど、実際そのような事が行われた記憶はない。小学校から高校まで、平和教育の内容が似たりよったりになっている。


 僕は噂に聞いたことが有るだけで、実際にそうなのか確かめていないのだが、第二次世界大戦当時ホロコーストが行われたアウシュビッツでは、当時の体験者が語り部になることはないらしい。「主観的」な情報ではなく「客観的」な知識を重視しているからとのことだった。その事を考えると、長崎での平和教育は非常に主観的な情報を重視している。


 主観的な情報を受け取ることがよくないとは思っていない。ただ、そこから感情的な原子力アレルギーを発生させるよりも、客観的知識を伴った論理的な核廃止を考えることも必要なのではないか。原子力発電所も事故がどのような影響をもたらすか僕を含めた多くの人はわからないままだと思う。このことに対しても感情論ではなく、知識を以て行動に移すべきだ。