2013年3月8日金曜日

2013年3月8日 日本語:通訳ボランティアは「誰得」なのか

先日、大阪市天王寺区が無報酬でデザイナーを募集したという話で、デザイナー業界側から批判が起こり、撤回することとなった。

区が無報酬デザイナー募集…抗議殺到、計画中止 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130302-OYT1T00306.htm?from=ylist

「公共の場所で宣伝が出来るので無報酬でもかまわないだろう」という考えが根底にあったようだ。批判は全くそのとおりだと思う。メディチ家は宣伝できるからという理由で無報酬にしたか。していない。この無報酬デザイナーの件では、Twitter上でも反応している人が比較的多かったように思う。

しかし、翻訳に関してはどうか。

たとえば、「市役所 通訳ボランティア」とGoogleで検索する。そうすると山のようにボランティアの仕事が出てくる。これらの仕事は本当に対価が0で行われるべき仕事なのか。ボランティアに参加する側も「国際交流が出来る」という聞こえのいい言葉にだまされてはいないか。例えばもし営業の仕事を任されて、「人とのコネクションが出来るから」という理由で減給されたらたまったものではないだろう。でも通訳ボランティアではそれが普通だと思われている。

通訳ボランティアの仕事は誰にでも出来る低レベルの仕事だからだろうか。それも違うと思う。先ほどの検索で出てくるボランティアの仕事は、例えば、在留外国人の生活の手伝いだったり、観光に来た外国人旅行客への案内だったり、外語話者の子女教育におけるサポートであったり、これらの仕事はそう簡単に蔑ろに出来るものではない。在留外国人の生活の質に直結したり、外国人旅行客の観光地の評価につながる大きなものである。それは将来的にその街自身に返ってくる。

ただ、この問題は行政を批判するだけでは意味を成さないと僕は思う。ここ最近、実家に帰省しているときにある中国人中学生の支援に何度か中学校を訪問した。その中学生も両親の事情で日本に来ることになり、日本語の勉強を全くしないままこちらにきており、転学当初は同級生はおろか、教師とのコミュニケーションにも事欠く状態であった、と聞いた。実際僕が行った時も、他の生徒とコミュニケーションが取れているとは言いがたく、担任教諭の指示も正確に理解しているとはいえなかった。

この生徒へのサポートは、週1回か2回(記憶があいまい)ほど、残留孤児・華僑の子弟が多い他学校の中国人教師と、ボランティアで来ている中国語話者の女性の方がいらしてされているとのことであった。僕は時間があるときのみだったのでほとんど何もできなかったが、学校長から話を聞くと、予算の都合上ボランティアに来る人の交通費すら出すことが出来ない、とのことで、しかしながら、サポートする方も中学生とは年が離れているので共通の話題が少なく、その点での難しさがあるとのことだった。この生徒はそれでも2年ほどでかなり日本語が上手になっていた(僕なんかは8年もかかってやっと中国語が少し出来るようになったレベルだが)。ここに予算を出せないのは、行政そのものが昨今の財政的問題により出し渋っていることと、それを監督すべき地方自治体の議会がそのボランティアの存在に甘んじて評価をしなくなっていることに問題があるのではないか。「国際交流が出来る」という砂糖の山に群がるアリを、アリジゴクが意のままに食べつくさんとしている。

もし本当に「グローバル化」とかそういうのを言い出すのであれば、ここにかかるコストを軽視してはいけないと思う。「言語は道具だから」というのは外語を勉強しているとよく聞くのだが、道具であるからこそ、正しい使い方を出来る人を適切に評価し、それによって問題が起こらないようにすることが必要なのではないか。外語を勉強しろ、といってもその能力を評価されないのであれば、やる人がいなくなり、ひいては国際化に逆行していく。






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