2013年1月23日水曜日

2013年1月23日 日本語:実名報道の可否

 1月16日に発生したアルジェリア人質拘束事件(リンク:Wikipedia)から一週間が経過した。留学して以来、日本の新聞を読むことはかなり少なくなったのだが、実名報道について一言言いたくなったのでブログ記事を書くことにした。



 というのも、Twitterの記者アカウントを中心に実名報道の可否について論争が起きていたというのが少しリツイートで回ってきていたのと、朝日新聞の記事『死亡した7人の氏名公表を要請 人質事件で内閣記者会 - 朝日新聞デジタル』を読んだからだった。

 昨年の11月、読売新聞社のお偉いさん(一応匿名にしておきます)が聴講している授業に講演ににきたのだが、そのときに「実名報道をすることによって、たとえば松本サリン事件での冤罪報道被害などの問題が起きていますが、このことに関してはどう思いますか(大意)」と聞いたところ、その方は「読者が興味を持っている内容なので実名でも仕方ない」という答え方をされた。「読者が興味があれば報道被害も許される」とも取れるような発言に僕はもう少し質問をしたかったが、そのときは時間がなくそこまでとなった。
 
 疑問は以下のとおりである:1、実名報道とは何のためにあるのか。2、事件への関心と実名報道は関連性があるのか。3、実名報道を防げば、報道被害は防げるのか。

 実名報道とは何のために存在するのか。実名で報道すべき場面というのは少なからずあるとは思う。たとえば突発的な事故や事件において、ひろく読者に知らせることによって(連絡を取れない)遺族や関係者に知らせる必要性があるとき。しかしながら、冤罪による報道被害によって本人だけでなく遺族や関係者にまで影響が及んだり、今回のように事件被害者が関係者にはすでにわかっている状態でただ単に興味本位で公開することによって二重の被害を生むような場合にそのデメリットを超えてまで実名報道するメリットは何かあるだろうか。僕は思いつかない。

 事件の関心と実名報道には関連性があるのか。先ほどの朝日新聞の記事では
事件に対する国民の関心は非常に高く、日本政府が公的に安否確認を行うとともに、情報収集、救出、帰国支援に全面的に関与している
と政府への申入書に書いた、としている。実名公表すると日本政府が公的にしている安否確認と別に新聞社が役に立つところがある、ということらしい。あのような事件の状況下で新聞社がどう役に立つのだろうか。救助隊でも作るのか。事件に対する国民の関心は非常に高いのは間違いないだろう。それでも、国民に広く実名を知らしめることによって被害者が助かるわけではない。例えば、ベトナム戦争の有名な写真「安全への逃避(Google画像検索)」に映っている親子の名前を知っている人は少ないと思う。しかし、この報道写真は人々の心に強く訴えかけた。関心を言い訳に実名報道をすることなど出来ない。

 実名報道を防げば、報道被害は防げるのか。今回の話題はどうしても実名報道そのものに注目が行ってしまっている。しかしながら、今回実名報道をしていなくても報道被害はあったのではないか。事実、報道関係者は企業と政府の公表がないまま遺族と接触し、実名を公開した(参照:『アルジェリア人質事件、実名報道に遺族関係者から異論「『実名は公表しない』と取材受けた」 | RBB TODAY』)。報道被害は報道されることそのものによっても被害を受けるものであるが、取材をされることにも精神的苦痛を伴う場合もあるということが見落とされてはいないか。

 マスメディアが果たす『正義的』役割はなくなってはいない、と僕は思う。今でも新聞記事を引用するほうがネット上の情報を引用するよりは価値を認められている。ただ、その評価に甘んじて、なにをしてもよいと思い違いをしていないか。そうなると、2chで振舞わされている正義と何一つ変わらないのではないかと思える。マスコミも「便所の落書き」と変わらなくなってきてはいないか。

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