僕は小学校で平和委員会に所属、中学校で平和人権推進委員会委員長に就任し、高校には平和委員会がなかったものの、地球市民集会ナガサキに高校代表として参加したり、高校生一万人署名運動に一時期参加するなどした経験がある。そのうえで自分なりに考え、思った事をこれから書き記してみようと思う。
長崎県は県都が被爆都市である経緯から、原爆被害に関する平和教育に関しては熱心で、僕の知る限りは小中高全ての学校で毎年8月9日を登校日に設定して平和集会が開かれるし、「総合」の時間のテーマとしても原爆・平和問題が取り上げられることも多い。ただ、長崎での平和教育にいくつか問題点が含まれているのではないかと思う。
まずはじめに、生徒の関心の問題がある。自分の経験した平和集会では体育館で被爆者による体験講話を聞いて、教室で感想を書くというような流れを毎年繰り返すだけで、生徒の側も勿論ちゃんと聞いている生徒もいるが、寝ている生徒もいるし、話を聞かなくとも「原爆は恐ろしい、平和は大切だ」という事を書けば家に帰れるのだから、暑い中まじめに聞くのがいやだ、という生徒も多かった。中学時代には委員会で教師主導で劇をやった事もあるが、いまになって考えてみると、委員会として参加したものは「劇」の練習をしただけで、原爆についての新しい事実を知ったり何かを学んだりしたわけではなく、見ている側にとっても、講話の内容が劇に変わった、程度にしかとられなかったのではないか。
次に、「原爆」という被害の部分のみを伝える、ということに関する問題である。これは去年大学で履修した授業とも関係があるのだけれど、簡単に言うと、「平和で何事も無いようなある日の長崎」に原爆は落ちたのか、ということを全く触れることなく平和教育が進んでしまっているということである。「被害者としての長崎」を見つめる事は多いのだけれど、「加害者としての長崎」を見る事は殊の外少ない。
最後に、平和教育での「長崎原爆」以外の問題に関する教育の不足である。長崎が「平和の街」としてみられる原点はやはり原爆である。原爆を除けば、三菱の企業城下町として成り立ってきた歴史があるわけだし、原爆の被害を伝えることが平和の街としての名を保ち続ける事だというのはあるのかもしれない。とはいえ、「長崎原爆」以外の平和教育はそれに対して比較的消極的なのではないかという気がする。限られた時間の中で原爆問題にある程度時間を割く以上、そうなってしまうのもどうしようもないのかもしれない。平和を構成するものは原爆だけではない。広島の原爆や、他都市での被害、連合国側や枢軸国他国での戦禍に関する事や、他の戦争についても知るべき事がたくさんあるし、同和問題や障害者の人権もあれば、国際理解なども国際観光都市になるつもりがあるのなら、尚更知らなければならない事ではないか。
思いのほか長くなってしまったので、以降をまた後日に書くことにする。