※この記事は2010年12月6日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(一)
及び2010年12月22日 日本語:長崎での平和教育・平和運動についての雑感(二)の続きです。
このテーマでの前回の更新から長く時間が空いてしまった。流れからは外れるが、今回は原発問題と平和教育の関係性について考えてみる。
今回の震災は少なくともただ電力を購入しているだけだった多くの人にとって幾らかでも発電方法について考える機会を作った。それによって原発を廃止するか、現状維持か、推進するか、火力発電所を増設するか、しないか、自然エネルギーをどうするか、ということなどを活発に議論していくことが必要だ。
今回の原発事故以降、ニュースで見慣れない単位が出ることも多かった。中国語翻訳のボランティアをやっていたが、辞書にも載っていない単位もあり、Web上で用例を確かめたりしつつ訳していた。そして、「このまま翻訳したところで、この拙訳を読んで中国語話者のどれくらいが理解できるんだろうか」とも思った。訳そのもののレベルが低い事も気にかかるが、「マイクロシーベルト毎時」とかその他もろもろの単位は素人目に見てその増減を確認する程度にしか利用できない。
管首相本人が「20年以上住めない」と言ったかどうかはともかくとして、ネット上では、自分が確認した限りにおいて、被曝に対する反応はかなり大きかったと思う。「日本は唯一の被爆国」という意識がその反応を増大させたのではないかと思う。但し、話はそれるが、僕自身はこの「唯一の被爆国」という考えには賛同できない。核実験の実験場になった地域を軽視しているように感じられるからだ。
本題の原発問題と平和教育に関してだが、原発事故以降出てくる数値を長崎の人でも理解しがたいことは、平和教育の中心が小中学校におかれていることにあるのではないかと思う。僕の記憶では、長崎の原爆資料館にも広島の原爆資料館にも「どの程度被曝すると身体にどのように影響が出るか」という展示はあった。しかしながら、小中学校で平和教育がおこなわれる時に放射線量と健康被害の関係を教えることが出来るだろうか?
僕はそれは難しいと思う。今まで受けた平和教育においても、「原爆はこんなにも恐ろしい」といった目で見て理解することが中心の、感情に働き掛ける教育が中心であったし、小学校ではそのほうが理解できると思う。高校に入ればそのような数値を出してもいいと思うのだけれど、実際そのような事が行われた記憶はない。小学校から高校まで、平和教育の内容が似たりよったりになっている。
僕は噂に聞いたことが有るだけで、実際にそうなのか確かめていないのだが、第二次世界大戦当時ホロコーストが行われたアウシュビッツでは、当時の体験者が語り部になることはないらしい。「主観的」な情報ではなく「客観的」な知識を重視しているからとのことだった。その事を考えると、長崎での平和教育は非常に主観的な情報を重視している。
主観的な情報を受け取ることがよくないとは思っていない。ただ、そこから感情的な原子力アレルギーを発生させるよりも、客観的知識を伴った論理的な核廃止を考えることも必要なのではないか。原子力発電所も事故がどのような影響をもたらすか僕を含めた多くの人はわからないままだと思う。このことに対しても感情論ではなく、知識を以て行動に移すべきだ。